Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.5.4

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その34

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

洗心洞の学風(11)
 (其一)洗心洞の学説(6)

管理人註
























空間の観
念ありて
時間の観
念なし

















一家の哲
学者

と大学に就き、中庸に就き、論語に於いて、孟子に於いて、易書詩礼春秋に                            ● ● 於いて、平八は一々其の徴を挙げ、其を証を引き、以つて太虚の理を説明せ    ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ り、虚の理、即ち是れ洗心洞学説の根本なり、骨髄なり、 フイヒテイが「ヱゴー」、「ナンヱゴー」を説き「ヱゴー」の自由を論じ、 セルリングが絶対を拈起し、ヘーゲルが宇宙即思想、思想即宇宙と喝破し、 シヨツペンハウヱルが意志是宇宙を痛論する、ハートマンが思想是体、意思                              ● ● 是用と両者を折衷したる、泰西観念論者即はち唯心論者は其の理想とすると                                ○ ○  ● ころ、往々にして平八の学説と其の揆を一にするものあり、而かも平八は空 ● ○ ○ ○ ○ ● ● ●   ● ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○  間に於いて無限大、無限小の観念を明瞭に標示せりと雖ども、未だ時間に於 ○ ○ ● ● ●   ● ● ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ いて無限大、無限小の観念を不明瞭も之を標示ざりしは、哲学者として、一 ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 大欠所たらすむはあらず、而かも哲理的学説に至つては、前に仁斎が易理を 演繹したる以後、独り平八と一斎とあるのみ、而かも一斎は平八の如くに別 に標識を建てす、然らは則はち、巍然として一家言を立てたるは、独り平八 あるのみなりしなり、 ・・・・・・・・・・ ・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 平八は虚の一字を拈出し、提起して、宇般万般の現象を有形無形を通して一 ・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・ 定理の下に説明し去り、併せて四書五経に於ける教旨の淵源をも、之を以て ・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・ ・・・・・・ 解釈し、論破せむとはしたるなり、此の一事を以つてするも、平八は確かに、 ・・・・・・・・・ ・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・ ・・ 一つの哲学者として、蔚然一家言をなし、然一旗幟を立つるに於て、綽々 ・・・・・・・・ として余あるなり、其の空間にのみ偏して、未だ時間を観するに及ばざりし は、一の欠点とするも、当時空間なる観念すらなき時代に、夙に此の新観念            ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ を喝破したりとせば、平八は優に近代の哲学者と認めらるべき価値を有せり、












拈起
(ねんき)



















巍然
(ぎぜん)
ぬきんでて偉
大なさま






蔚然
(うつぜん)
物事の盛んな
さま


(きぜん)

綽々
(しゃくしゃく)
ゆとりのある
さま


『大塩平八郎』目次/その33/その35

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