空間の観
念ありて
時間の観
念なし
一家の哲
学者
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と大学に就き、中庸に就き、論語に於いて、孟子に於いて、易書詩礼春秋に
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於いて、平八は一々其の徴を挙げ、其を証を引き、以つて太虚の理を説明せ
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り、虚の理、即ち是れ洗心洞学説の根本なり、骨髄なり、
フイヒテイが「ヱゴー」、「ナンヱゴー」を説き「ヱゴー」の自由を論じ、
セルリングが絶対を拈起し、ヘーゲルが宇宙即思想、思想即宇宙と喝破し、
シヨツペンハウヱルが意志是宇宙を痛論する、ハートマンが思想是体、意思
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是用と両者を折衷したる、泰西観念論者即はち唯心論者は其の理想とすると
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ころ、往々にして平八の学説と其の揆を一にするものあり、而かも平八は空
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間に於いて無限大、無限小の観念を明瞭に標示せりと雖ども、未だ時間に於
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いて無限大、無限小の観念を不明瞭も之を標示ざりしは、哲学者として、一
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大欠所たらすむはあらず、而かも哲理的学説に至つては、前に仁斎が易理を
演繹したる以後、独り平八と一斎とあるのみ、而かも一斎は平八の如くに別
に標識を建てす、然らは則はち、巍然として一家言を立てたるは、独り平八
あるのみなりしなり、
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平八は虚の一字を拈出し、提起して、宇般万般の現象を有形無形を通して一
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定理の下に説明し去り、併せて四書五経に於ける教旨の淵源をも、之を以て
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解釈し、論破せむとはしたるなり、此の一事を以つてするも、平八は確かに、
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一つの哲学者として、蔚然一家言をなし、 然一旗幟を立つるに於て、綽々
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として余あるなり、其の空間にのみ偏して、未だ時間を観するに及ばざりし
は、一の欠点とするも、当時空間なる観念すらなき時代に、夙に此の新観念
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を喝破したりとせば、平八は優に近代の哲学者と認めらるべき価値を有せり、
 
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拈起
(ねんき)
巍然
(ぎぜん)
ぬきんでて偉
大なさま
蔚然
(うつぜん)
物事の盛んな
さま
 然
(きぜん)
綽々
(しゃくしゃく)
ゆとりのある
さま
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