孔孟学を
学名とな
す
孝の一字
を以つて
学則の主
となす
孝経
易経
伝習録
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劈頭第一に学名を弁して孔孟学とは喝破したり、其の説に曰く、
我学治 大学中庸論語 也、大学中庸論語便是孔氏之書也、治 孟子 也、
孟子便是孟子之書也、而六経皆亦孔子刪定之書也、故強名 之曰 孔孟学
也、
と、然り、平八の学は、毛鄭賈孔の学に非ざるなり、彼等は経世の名義を註
解するに止まる、程氏の学にも非ず、朱氏の学にもあらず、程朱は大抵経書
の精微と、性命の底蘊とを説破するのみ、陽明の学にも非らず、陽明は経書
の中に就て平易簡明の大要を提けたるのみ、固より仁斎学に非ず、徂徠学に
非ず、仁斎徂徠は其の唾余なるのみ、居然平八の学は孔孟学なり、此の点に
・・・・・・・
就ては、後代吉田寅之助(松陰)其の孔孟剳記に於いて、三たび其の意を致
せるを見る、或は前後相期せずして符を合するもの歟、
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平八は業已に学名を名けて孔孟学と曰ひ、而して其の学則の第一着として、
主眼として、孝の一字を拈出せり、
故孔子以 孝経 授 於曾子 、而謂 之至徳要道 、孟子亦曰、堯舜之道、
孝弟而已矣、以 是考 之、則四書六経所 説雖 多端 、仁之功用雖 遠大
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其徳之至、其道之要、只在 孝而已矣、故我学以 孝之一字 貫 四書六経
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之理義 、
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然り、平八は孝の一字を以つて四書六経の理義を貫かむとするなり、是れ孔
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子が「吾道一以貫 之」と曰ひたるの、主意に本づくものなり、而して平八は
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之を以つて其の教育の大眼目となせり、故に其の書目の劈頭第一に孝経を列
せり、
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其の課程の書目に於て平八は孝経を第一となしたり、而して四書を其の次と
なし、「右一経四書」と記せり、之を第一部門となしたり、
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第二部門に於ては、易経首位に在り、是れ其虚の理を万説の本とせる学派に
於て怪むに足らざる所、而して書、而して詩、而して礼、而して春秋并三伝、
而して周官、而して儀礼、而して「右七経三伝」と記せり、
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第三部門に於ては、伝習録最上位に置かる、蓋し第三部門は理学の部門なり、
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理学に於ては、平八特に陽明を推す、其の伝習録を以つて理学部門諸録の魁
となす、亦た怪むべきなし、而して「右理学」と其の書目の末に記せり、
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以上は経書及び語録に就て、平八が取舎し、排列し、以つて其の種類を撰み、
其の順序を定めたるところとなす、
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山田準
『大塩中斎』
その28
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