Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.5.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』 その49

国府犀東(1873-1950)

(偉人史叢 8)裳華書房  1896

◇禁転載◇

洗心洞の学風(26)
 (其二)洗心洞の教育法(6)

管理人註

孔孟学を
学名とな
す






























孝の一字
を以つて
学則の主
となす






























孝経




易経







伝習録

            ● ● ● 劈頭第一に学名を弁して孔孟学とは喝破したり、其の説に曰く、   我学治大学中庸論語也、大学中庸論語便是孔氏之書也、治孟子也、   孟子便是孟子之書也、而六経皆亦孔子刪定之書也、故強名之曰孔孟学   也、 と、然り、平八の学は、毛鄭賈孔の学に非ざるなり、彼等は経世の名義を註 解するに止まる、程氏の学にも非ず、朱氏の学にもあらず、程朱は大抵経書 の精微と、性命の底蘊とを説破するのみ、陽明の学にも非らず、陽明は経書 の中に就て平易簡明の大要を提けたるのみ、固より仁斎学に非ず、徂徠学に 非ず、仁斎徂徠は其の唾余なるのみ、居然平八の学は孔孟学なり、此の点に     ・・・・・・・ 就ては、後代吉田寅之助(松陰)其の孔孟剳記に於いて、三たび其の意を致 せるを見る、或は前後相期せずして符を合するもの歟、              ● ● ●          ● ● 平八は業已に学名を名けて孔孟学と曰ひ、而して其の学則の第一着として、 主眼として、孝の一字を拈出せり、   故孔子以孝経於曾子、而謂之至徳要道、孟子亦曰、堯舜之道、   孝弟而已矣、以是考之、則四書六経所説雖多端、仁之功用雖遠大    ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○  ○ ○ ○ ○  ○  ○ ○ ○ ○   其徳之至、其道之要、只在孝而已矣、故我学以孝之一字四書六経    ○ ○ ○   之理義、     ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ 然り、平八は孝の一字を以つて四書六経の理義を貫かむとするなり、是れ孔 ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○  ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○   ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ 子が「吾道一以貫之」と曰ひたるの、主意に本づくものなり、而して平八は                                ● ● 之を以つて其の教育の大眼目となせり、故に其の書目の劈頭第一に孝経を列 せり、       ● ●           ● ● 其の課程の書目に於て平八は孝経を第一となしたり、而して四書を其の次と なし、「右一経四書」と記せり、之を第一部門となしたり、           ● ●          第二部門に於ては、易経首位に在り、是れ其虚の理を万説の本とせる学派に 於て怪むに足らざる所、而して書、而して詩、而して礼、而して春秋并三伝、 而して周官、而して儀礼、而して「右七経三伝」と記せり、           ● ● ●                ● ●   ● ● 第三部門に於ては、伝習録最上位に置かる、蓋し第三部門は理学の部門なり、 ● ● 理学に於ては、平八特に陽明を推す、其の伝習録を以つて理学部門諸録の魁 となす、亦た怪むべきなし、而して「右理学」と其の書目の末に記せり、     ● ●    ● ● 以上は経書及び語録に就て、平八が取舎し、排列し、以つて其の種類を撰み、 其の順序を定めたるところとなす、




山田準
『大塩中斎』
その28


『大塩平八郎』目次/その48/その50

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