洗心洞の
著作
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洗心洞に於て著はされ、梓に上されしものは多くは、平八自ら之を著はし、
自ら之を刻したるものなりとす、
一 洗心洞箚記 二冊 二 同附録 一冊
三 古本大学刮目 四 儒門空虚聚語 二冊
五 同附録 一冊 六 洗心洞学名学則
七 増補孝経彙註 三冊 八 洗心洞学論学書略 一冊
九 洗心洞詩文 中尾捨吉著 二冊
以上を洗心洞著書に就いて知りたる限りのものとなす、儒門空虚聚語二冊、
同附録一冊、増補孝経彙註三冊、洗心洞論学書略一冊は不幸にして未だ之を
読むを得すと雖ども、其の今に猶ほ秦火を免れて存するを知る、平八の姻戚
たる三宅玄達氏が、予に寄せられたる書牘に見ば、
其真蹟文詩及書牘等数多於尾寄贈有之候処同人変乱の際官吏我家宅捜索
尽く収去られ家族皆々拘引我等は二歳の節にて百事不知爾後我家にては
大塩の事は一言も官辺を憚りて不申出故委細不明又此地方の人も熟知の
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人当時有之候も其罪の波及を恐れ隠蔽其内故老死去且南家は不存在只左
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記の書籍当時佗人へ貸し候分近年取返所持候
とて此等の書目を列ねありたり、而かも此の書は今に徳島県尋常小学校長岡
本監輔氏借り受け居るとの由なけれは、強いて之を見るの要もなかるへしと
思ひて之か郵送を望まさりけり、然れは右の書は確かに現存するを知るへし、
而して此等は佗人の処へ貸し置きたる為めに、幕吏の毒手を免れたるものな
るべし、
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山田準
『大塩中斎』
その31
秦火
(しんか)
書物を焼き捨
てること、
焚書
岡本監輔(韋庵)
(1839-1904)
穴吹町(現美馬市)
三谷の小農、
樺太開拓の志士
1894年から3年間
旧徳島中学校の
校長
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