平八芦雁
の図を山
陽に贈る
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越へて文政八甲申の歳八月、久太郎詩藁を提けて大坂に游ふ、是れより先き
久太郎屡京摂の間に往来し、夙に平八の名を聞き之れに過きり、一見旧知の
如く、意気相投し、酒を把つて高談膝の前むを覚えさりき、平八時に陽明全
集を攤出し、談し来り談し去り、滔々として太虚の理を説く、久太亦た其の
論を愛し、乃はち全集を借り、更に痛飲して去る、此の時壁間に一幅芦雁の
図を挂けたり、趙子壁の筆にかゝる、久太之を見て図を朶ること良久、竟に
辞し去り、陽明全集を読み畢り、七絶一首を附して、之を還へす、
読 王文成公集
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為 儒為 仏姑休 論。吾喜文章多 古声 。北地粗豪歴 城険 。
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尽輸講学老陽明。
是れより久太と平八とは、頗ぶる親密なる交情を通せり、故に久太の大坂に
出づるや、先づ平八を訪ふを例とせり、今回の游坂、亦た先づ平八郎の洗心
洞に過きれり、洞は天満川崎に在り、相逢ふて先づ酒を喚ぶ、主客献酬して
興、方さに闡なり、久太復た彼の芦雁の図を熟視して之を獲むと欲するもの
ゝ如とし、平八其の色を見て、断然愛を割き、之を壁間より撤し来り、すら
/\と巻き収めて、久太の前に差出し、其愛蔵の書幅には候へど、卿が詩興
の一助にもなり候ひなむ、進呈致すべしと言ひれば、久太喜の色満面に溢る
れども、流石其の割愛のあまりに果決なるに愕き、しばしは茫然たりしか、
やがて結搆の贈物、然らば遠慮なく頂戴仕らむとて、竟に之を受けて立ち去
れり、久太は喜悦に堪えず、乃はち長句一篇を賦して之を謝せり、
大塩君子起贈 吾趙子璧芦雁図 、謝以 長句 。時文政甲申秋八月也。
頼 山陽
曾酔君家公退余。酒酣耳熱呼 嗚嗚 。怪底惨慄肌欲 粟。壁挂霜渚宿雁図。
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四雁相 暁月底。両隻縮 頭眠未 蘇。一隻側 翅掻 癢起。一隻張 目是雁
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奴。誰能画 。此趙子璧。欸題如 新墨欲 滴。入 君樊籠 朶 吾頤 画雁難
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於生雁獲 。何料江南再逢時。早察 吾色 許 輟遺 。繋 舟君家 出 君雁 。
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併 月併 霜巻懐 之。酒醒灯底疑 是夢 。一幅嗷嗷真在 茲。嗚呼宝絵人
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称煙過 眼。語及 得喪 其目 。割愛快 於 并刀断 。此情江水深無 限。
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稲梁謀拙吾自知。絵 途険君不 疑。隠顕雖 異本同類。相聚時如 画中姿
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観君羽儀漸 雲逵 。
是れより交情益密なり、
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攤出
(だんしゅつ)
挂(か)け
良久
(ややひさしく)
井上哲次郎
「大塩中斎」
その13
闡
(あきらか)
『洗心洞箚記』(抄)
その37
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