『名判官物語』 中央公論社 1941 より
適宜改行しています。
二、定謙が江戸の南町奉行在勤は僅かに十月であるから、記載すべき事件も少いのであるが、左の三件は好評のものである。 | ||
部屋頭三之 助の処分 |
天保十二年四月定謙が町奉行になりたるとき、老中水野忠邦より町奉行の勤務振に付き定謙に話をした際に部屋頭三之助の悪事を告げ、御上の御内意もあるゆゑ三之助を捕縛せられたしと命令した、定謙は予て三之助の行状を知り居りたれば忠邦に向ひ「御諚は畏り候、併し三之助は只今松浦忠右衛門の邸に居る趣なれば容易に手を下し兼ねます、しかのみならず町奉行所の役人中にも多年親交の者多き由承り居れば、尋常の手段にて捕縛せんとせば内通するものありて取逃すやも計られず、熟考の 上にて何とか致すべきに付き暫時猶予を願ひ奉る」と答へた。それより後定謙は病気届をなし役所に出勤しない。然れども医者を呼びたる様子もなきゆゑ、人々は怪しみて種々の噂をしてゐた。 定謙は三之助の行動及びその親交ある者を内偵せしめたるに、町奉行所の役人松浦忠右衛門と奥村主税といへる者は常に三之助を使用し信任して居り、その悪事を知りても黙認してゐることが分つた。併し忠右衛門は古参の役人にてなか\/勢力があるから、三之助を捕縛せんとして若しも 失敗するときは自分の責任であるばかりではなく、町奉行所の威信に関することであると思ひ、熱考の上三之助と親交ある町奉行所の与力二人を秘密に自邸に呼び左右の者を遠ざげて、 「拙者長々の所労ゆえ彌々決心して御役御免を願ひたいと思ふ、然るに其方達の知る通り髪も長く髯も延びるまで長い間病床に居るも、一人の医者をも招かない。それは四百四病以外の病気があるからである。今度職を辞するは誠に遺憾で耻入つた次第ある。」 と小声にて語れば二人とも怪しみて、 「如何なる訳で御座りますか」 と尋ねた、定謙は答へて、 「誠に耻入つた次第であるが、実は貧病という実際難治の病に罹つて居る。拙者は蔵前の札差を始めその他より借金があり、利息も嵩み今は何とも致方はない、依て内々にて其方共に金策を依頼したく存ずる、承れば松浦氏の部屋頭三之助と申す者は頗る金策が上手のよし、其方共の尽力にて内内三之助に依頼して呉れまじきや」 と懇に頼んだ、二人は町奉行の内々の頼みなれば一も二もなく承諾し、早速三之助宅に至り相談したるに、三之助は元来新奉行矢部駿河守様は剛直の人なりと聞き、恐れているところであつたから、思ひがけない依頼に雀躍りして喜び、二人に対し、 「駿河守様の御頼みは正に承知しました、御二人様を御疑ひ申す訳ではありませんが、かやうな秘密な事は直接に駿河守様に御目にかヽり御話を承り、そして御入用の金額を御用だてませう」 と答へ、二人と同行した、三之助はこの機会を利用し定謙に援近し、定謙を忠右衛門同様自己の薬籠中のものにしようと考へたのである、与力二人は三之助の答を定謙に復命し且つ三之助も共に参りましたと告げた。定謙が病気と称して自宅に引籠つたのは三之助を呼寄せる手段であつたのだから、三之助の早速の来訪を喜び、二人に対し、 「この事固より内々の私事であるから、それがしも直接に面会して詳しい事を物語りたい、併しながら身分も違ふことなれば玄開口より通すことは憚りあり、庭へ廻し庭先にて面会致そう」 と告げた、やがて二人は外に待ち居りたる三之助を案内して奥座敷の庭に連れて来た、定謙は庭に出て三之助と話を始めるや、咳払を合図に予て物陰に潜伏せしめ置きたる同心数人出で来り御用と呼びかけ、三之助を捕縛した。 右の処置はあまりに大事を取りて、反間苦肉の策を弄したやうであるが、町奉行所の諸役人が腐敗し、三之助に籠絡されて居るから三之助逮捕のことが漏洩する恐れあるため、かやうな苦心をしたものと思はる、松浦忠右衛門その他不正の役人は与力同心に至るまで、それ\゛/処分を受けそれより奉 行所の綱紀は粛正せられた。 |