『名判官物語』 中央公論社 1941 より
適宜改行しています。
祭礼の喧嘩 を取下げし む |
定謙は一応関係人の陳述を聞きたる後考へた、一々吟味を遂げるときは多数の犯罪者を出すことになる、元が町内の祭礼の祝酒より起りたることなれば町の為にも宜しからずと思ひ、訴を願下させんとしたるも双方是非曲直を争ひでなか\/承知しない。そこで定謙は一同の者に向ひ「平生仲のよき若者共が喧嘩をするに至つたのは、何か訳のあつての事か」と問うた、若者の一人が「何も訳はありません、もとは余り酒を飲んだためであります。聊のことが大喧嘩のもとになりました」と答へた、「然らば何故に左様沢山酒を飲みたるや」と問へば「御祭のことゆえ町内の者より貧富によらず、勧進を申入れて金銭を集め、之にてだんじりなど作り、その跡にて酒宴を開き祝盃を汲みかはしたるに、口論が始まり大喧嘩となつたのであります」と答えた、 定謙は一同に対し「町内に於て銭を貰ひ集めたとありては、取りも直さず乞食の振舞である、御上の下知を受けず金銭を貰ひ歩きたるは非人どもの所為である、されば今日是非とも喧嘩の儀に付き、御上に訴えおさばきを願ふといふならば、先づ一同を非人松右衛門の配下と致し、然る後其方共の曲直を裁判するから左様心得よ」と申渡せば、一同は大いに鷲き早速に願下をなし、その場で仲直りをして奉行所を退出した、定謙は若き者の一時の興奮による裁判沙汰を中止せしめんため、非人頭の配下となすべしとおどしたのであつた。
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転宅の約束 を履行せし む |
然るにその後数日を過ぎても転宅の様子がない、反て伝七は毎日酒宴を催し新に妻を迎へた祝をしてゐるのである、久助よりは転宅して呉れた方が双方の為でもあり、町内の交際の上にも都合がよいからとの事を、再三申向けて催促したけれども伝七は転宅をしない。久助は已むを得ず町奉行所に出て事惰を陳述して救済を求めた。今日でいえば約束に依りての移転の請求である、定謙は双方を呼出し陳述を聞きたるに、久助の主張する事実に対しては伝七も争はないのであるが、唯転宅をしないのである。 定謙は伝七に対し「其方は久助の妻と密通し、しかもその妻を示談にて貰ひ受けながら、久助の寛容なる処置を難有とも思はず、予ての約束を履行せず今日までも転宅しないのは何故であるか、不都合ではないか」と尋ねたるに伝七は「移転致す約束致したるにより転宅する考へなるも、移転料がなく遂に延引致したのであります」と答へた、実は移転料がないのではない、毎日祝酒を飲んで居る程であるから、金子はないのではないが其の場逃れに右の如く陳述した。 定謙は伝七の心術を見破つたから断然処分しようと思ひたるも、考ふるところがありて知らぬ風をなし「其方移転料なきため転宅出来ぬといふは如何にも尤もの事である、然らば移転の入費は御上より貸して遣はす間速に移転せよ」といひて与力に命じ銭五貫文を与へた、 伝七は之を貰ひ大いに喜び白洲を退出し腰掛のある控所に来り多くの公事人に対し「女房は取る、引越料は御上より戴く、こんな難有事はない。駿河守の捌きはさすがに行届いてゐる」と誰れにも彼れにも吹聴して得意になつて帰つて見れば、豈料らんや我が家は封印が附き、這入ることが出来ない。 驚いて家主のもとに走り行きて尋ねたるに、家主は「先刻御奉行様の御差図とありて役人衆参られ、我等同道してお前の宅に行きたるに、伝七儀今日公儀より引越料を頂載し引越仰付けられたる上は、この家は最早伝七の家ではないから左様に心得よ、且つ又伝七の所有の家財は伝七に不届の行為あるにより残らず闕所となり、家財は尽く久助へ下さる旨の御申渡があつた」と話したので、伝七はあいた口が塞がらず、途方にくれ先刻の得意は何処へやら唯呆然として夢のさめた如くであつた。(以上燈前一睡夢) この裁判は、定謙が穏健にして用意周到なることを示すものである。 |
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