Я[大塩の乱 資料館]Я
2011.11.3

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩の乱」

その2

久保田辰彦 大阪毎日新聞社 1940

『大阪郷土史』所収

◇禁転載◇

一二 大塩の乱(2)管理人註





堂島米市場
















淀屋の店先

二、堂島米市場  堂島米市場は、八代将軍吉宗の時、公許せられたものである。幕府は、 当時農作打ちつゞき、米価下落して、農民の難儀するのを見、これを救 はん為め、大阪町人に強制的に米を買はせた。その買米高は六十万石と いはれるが、後世のいはゆる米価調節である。この買上げに、堂島仲買 人は非常に協力したので、その褒美として、米市場を公許されたもので、 これが最近までの堂島取引所の前身を為し、この取引所は、最近米価統 制の影響を受けて閉鎖となつた。堂島市場は、正月の初取引に、淀屋橋 南詰で場を立て、御祝儀商ひを行つたが、これは堂島市場開設前、淀屋 の店先でやつて居たのを記念する為めだつたといはれる。ちなみに淀屋     じょうあん の初代は常安といひ、常安橋を造つた人で、その五代目が、有名なる淀 屋辰五郎である。

   
 


幸田成友『江戸と大阪』その123


「大塩の乱」目次/その1/その3

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ