二、堂島米市場
堂島米市場は、八代将軍吉宗の時、公許せられたものである。幕府は、
当時農作打ちつゞき、米価下落して、農民の難儀するのを見、これを救
はん為め、大阪町人に強制的に米を買はせた。その買米高は六十万石と
いはれるが、後世のいはゆる米価調節である。この買上げに、堂島仲買
人は非常に協力したので、その褒美として、米市場を公許されたもので、
これが最近までの堂島取引所の前身を為し、この取引所は、最近米価統
制の影響を受けて閉鎖となつた。堂島市場は、正月の初取引に、淀屋橋
南詰で場を立て、御祝儀商ひを行つたが、これは堂島市場開設前、淀屋
の店先でやつて居たのを記念する為めだつたといはれる。ちなみに淀屋
じょうあん
の初代は常安といひ、常安橋を造つた人で、その五代目が、有名なる淀
屋辰五郎である。
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