Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.5.2

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「大塩の乱関係論文集」目次


「廖柴舟と大塩後素」
その5
町田柳塘(町田源太郎)

『上杉謙信』得能文著 (偉人史叢 第19巻) 裳華書房 1898 所収

◇禁転載◇

 管理人註
   

康熙帝、曾て沈徳潜の編輯せる清詩別裁に序して曰く、『詩者何、忠孝 而已耳、離忠孝而言詩、吾不其為詩也』と、銭鎌益、明清両 朝に事へたるを責めて、其詩を擯斥し、前茅に列するを許さず、以て人 類に非ずと為す、其聖学を主として忠孝を口にする所、人をして感歎措 かざらしむるも、是れ即ち皮相を粧ふて、天下を瞞するの語なり、極 めて聡明卓越の士も、亦之に籠絡せられて悟らず、嗚呼、天下四海を控 制する者の心計、実に窺ひ易からざるなり、 柴舟と大塩と、独り着眼の相同じきのみならず、其学術、亦相似たり、 而して一は文章を以て自ら慰め、一は吏治を以て能名を得たり、大塩柴 舟の文集を読みて感悟する所ありしや否や、知り難しと雖ども、余は 其の読まざるものと考思す、翻刻二十七松堂集に塩谷宕陰の序あり、曰 く廖氏集、舶載少、監察妻木君酷好之、将之以恵後学云々、と 是れ文久二年にして、大塩の死後二十余年なり、大塩、若し舶載の廖集 を得てね之を読み、感発する所あらば、必ず其の剳記に於て記すこと ありしならん、而して其議論の相似たる、殆んど廖氏の説を剽窃せし かと疑ふほどにて、一言も柴舟に及はず、全く自家創見の如くに論断 せり、佐藤一斎も大塩に書を贈りて曰く、の説御自得致敬服候、云々 と、全く大の説を以て大塩の発明と認めたり、大塩の学術大を以て 本領と為す、而して誰か知らん、是れ即ち廖柴舟の百数十年前に論弁 せしものならんとは、大塩決して他人の説を窃みて、自己の創見なりと 誇るものにあらず、故に彼は実に柴舟の文を読まざるものと断定せり、 其書を読まずして其識見を同うす、奇とは云はざるべけんや、

沈徳潜
(しんとくせん)
1673〜1769

銭謙益
(せんけんえき)
1582〜1664

擯斥
(ひんせき)
しりぞけること













塩谷宕陰
(しおのやとういん)
1809〜1867










「佐藤一斎の大塩平
八郎に答えた書簡


「廖柴舟と大塩後素」目次/その4/その6
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