Я[大塩の乱 資料館]Я
2012.5.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


「廖柴舟と大塩後素」
その9
町田柳塘(町田源太郎)

『上杉謙信』得能文著 (偉人史叢 第19巻) 裳華書房 1898 所収

◇禁転載◇

 管理人註
   

然れども亦一歩を退きて考ふれば、たとひ大塩性善の説に疑を容るゝも、 一は俗儒の指を恐れ、一は教化の方便を慮りて、猶之を墨守せしや知 るべからず、当時儒者の風習、一言半句、孔孟程宋を議するに至れば、 直に異端として、之を擯斥し、乱臣賊子を以て之を目す、佐藤一斎、大 塩に贈る手簡に曰く、『姚江の書、元より読候へ共、只自己の箴に致 し候のみにて、都ての教授は並の宋説計りに候、殊に林氏家学も有之 候へば其碍に相成、人の疑惑を生し候事故、余り別説も唱へ不申候 云々』と、当時の儒者十中の九は皆此の有様にて、縦令自得の創見ある も、林氏の嫌忌を恐れて、逡巡躊躇し、決して之を筆舌に現はすの勇気 無し、大塩、王学を嗜み、剳記を著はすと雖も、程朱の説を探ること極 めて多く、其意専ら程朱と王学とを混和融合せんと力めたるが如く、其 実は林氏の嫌忌を避くるに汲々たりしなり、之を柴舟の語々宋儒を排斥 し、往々疑を四書に致して、俗儒を喝破するの胆識に比すれば、跼蹐憐 むに堪へたり、 右に論ずる所によれば、大塩の見識、柴舟に及ばざるが如くなれど、是 れ復止むを得ざるなり、蓋し大塩は、学ぶ所を以て直に世に施さんとし、 柴舟は望を世に絶ち、只高談壮語して俗儒を警醒し、知己を身後に待つ の心なれば、一は苦心惨憺、時世に掣肘せられて、筆、意の如くならず、 一は奔放自在、駻馬の銜勒を離れたるが如くなるを以て、其の筆する所 に自ら逕庭あるなり、

佐藤一斎の
大塩平八郎に
答えた書簡跼蹐
(きょくせき)
跼天蹐地の略
肩身がせまく、
世間に気兼ね
しながら暮ら
すこと





銜勒
(かんろく)
くつわ

逕庭
(けいてい)
かけへだて


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