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然れども亦一歩を退きて考ふれば、たとひ大塩性善の説に疑を容るゝも、
一は俗儒の指を恐れ、一は教化の方便を慮りて、猶之を墨守せしや知
るべからず、当時儒者の風習、一言半句、孔孟程宋を議するに至れば、
直に異端として、之を擯斥し、乱臣賊子を以て之を目す、佐藤一斎、大
塩に贈る手簡に曰く、『姚江の書、元より読候へ共、只自己の箴に致
し候のみにて、都ての教授は並の宋説計りに候、殊に林氏家学も有之
候へば其碍に相成、人の疑惑を生し候事故、余り別説も唱へ不申候
云々』と、当時の儒者十中の九は皆此の有様にて、縦令自得の創見ある
も、林氏の嫌忌を恐れて、逡巡躊躇し、決して之を筆舌に現はすの勇気
無し、大塩、王学を嗜み、剳記を著はすと雖も、程朱の説を探ること極
めて多く、其意専ら程朱と王学とを混和融合せんと力めたるが如く、其
実は林氏の嫌忌を避くるに汲々たりしなり、之を柴舟の語々宋儒を排斥
し、往々疑を四書に致して、俗儒を喝破するの胆識に比すれば、跼蹐憐
むに堪へたり、
右に論ずる所によれば、大塩の見識、柴舟に及ばざるが如くなれど、是
れ復止むを得ざるなり、蓋し大塩は、学ぶ所を以て直に世に施さんとし、
柴舟は望を世に絶ち、只高談壮語して俗儒を警醒し、知己を身後に待つ
の心なれば、一は苦心惨憺、時世に掣肘せられて、筆、意の如くならず、
一は奔放自在、駻馬の銜勒を離れたるが如くなるを以て、其の筆する所
に自ら逕庭あるなり、
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「佐藤一斎の
大塩平八郎に
答えた書簡」
跼蹐
(きょくせき)
跼天蹐地の略
肩身がせまく、
世間に気兼ね
しながら暮ら
すこと
銜勒
(かんろく)
くつわ
逕庭
(けいてい)
かけへだて
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