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依て先づ守重がお毒見をして平八郎に差す
「是は誠とに相済まん」
「イヤ何もなくて却つて失敬、マア遠慮なく過し給へ、何が何もござらんが
是を肴に」
といつて其処へ鍋を出しましたから、大塩先生、何であるかといつて見ると
亀でございます、生て居りますから大抵の人なら、ヘン、人を馬鹿にしやア
がつて、生てる亀を鍋へ入れて出したつて喰はれるものかといふ処ろであり
ますが、其処が豪傑の豪傑たる所以で
「ヤア、之は結搆なる肴でござる」
あが
「どうか這ひ出さん内にお喰り下され」
「然らば遠慮なく頂戴仕まつる」
といつて平八郎、小柄を抜て亀の首をスカリと切り、血を啜りまして
うまい
「ヤアどうも好味/\」
といつて舌打鳴しましたから、流石の近藤も平八郎の剛胆には大に驚ろきま
すゞき すひもの
した、依て夫より鯛の塩焼、鱸の吹物等立派なる肴が出でまして、両人大に
話しが合ひましたから、充分に喜こびを尽して立ち別れました、夫より両人
の交はりといふものは、水魚の如くいたして居りましたが、当時泰平長く続
いたる時でありますから、個様な豪傑の人のする処ろは幕府の気に入りませ
ん、夫に依て近藤守重は僅か二年大坂に居たばかりで江戸へ引上けられまし
て、其跡へ参つたのが高井山城守実徳といふ人でございます、大塩先生は水
魚断金の交はりといたしたる処ろの近藤守重が江戸へ引上られましたから、
大に落胆をいたしまして、最早大坂には気の合ふ様な人物が来ることはある
まいから、一層のこと与力の役を辞して門弟の教育を専ぱらにしやうかと思
つて居りますと、近藤の跡へ参られましたる高井山城守といふ人は、年の頃
とん
は最早六十に近き老人でありますが、賢明の聞へ高く人を用ゐるの才に富で
居りますから、大坂へ参ると直に大塩平八郎へ目を付けまして、其人物は中々
容易の者でない、好く用ゐる時は大に功を立てる人物なるに依て、三等与力
などで置かば必らず長く職にあるまい、惜しい人物だと英雄の見る処ろは少
まさ
しも違ひません、大塩が将に職を辞して了はんと思ふ処ろへ、新任の高井山
城守が大塩を召して、吟味方といふ一等与力の職を授けましたから、大塩先
生、夫でも辞するといふ訳に参りませんから、其処で有り難くお謂けに及び
ました、されば夫より奉行の高井山城守は大に大塩を信任したしまして、万
事を任せて置きました、時に文政の四年秋の初めでありまして、平八郎二十
あちこち
八歳の時でございました、是に依て平八郎の名は遠近に聞へ、諸国の英雄、
大坂に遊ぶ者は必らず大塩を訪ねるを名誉とする位ゐであります、然るに茲
に名代の学者で看客も好く御存知であらせられる頼山陽先生も大塩平八郎先
生の名を慕ひまして、文政の七年春三月、大塩の家へ初めて尋ねて参りまし
た、夫より大層心が合ひまして懇親にいたしましたが、其ことは畧します、
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鬼雄外史
「大塩平八郎」
実際には
高井山城守は
東町奉行で、
近藤重蔵は
弓奉行
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