此様子を見たる貢は
「ヤア、お前は大坂の伊勢屋さんではないか、何を冗談なさります」
まこ
「イヤ、大坂の商人伊勢屋門兵衛といつたは偽はり、真とは其方の悪事を探
らん為めに弟子となつたる大坂の吟味方なるわ、最早充分証拠が上つたる上
は尋常に縄にかゝれ」
といはれて流石の大胆不敵の豊田貢も計られたかと思つたから、此奴を祈り
殺して呉れやうと思ひ、忽まち本来の悪形に変じ、髪振り乱して神壇に向ひ
うた かう
「罪もない私に縄打んとする奴、神に祈つて天罸を蒙むらするぞ」
といひながら、何か口の中に咒文を唱へて居りますから、後ろに居たる二人
ほか
の組子と其他京都の組子共は平生貢を生如来と思つて居たのでありますから、
あとすさ
如何なることになるやらんと大に恐れまして跡退りをいたしました、大塩平
八郎先生に於ては、元より大才の人でありますから、正法の不思議なしと悟
つて居ります
きさま
「己れ貢の毒婦奴、何をいたして居るぞ、最早神も仏も貴郎のやうなものは
見放して居るぞ、尋常に縄にかゝれ」
うや/\
といひながら、敬々しく搆へたる処ろの神壇を土足を挙げたることにて、力
に任してドンと蹴りますと、アラ不思議や神壇は砕けてグワラ/\と崩れま
こ
すと、其下へ大きな穴が出来ました、這は叶はじと思ひたる豊田貢、大塩を
にげいだ
突飛して逃出さんといたしましたから
いづれ
「己れ今に及んで何処へ逃げんとする」
きゝうで とつ ね また うち
といひながら利手を把てグイと捻ぢ上げ、瞬たく内に縄を掛けました、平八
あな
郎、貢をグル/\と縛り上ると、縄尻を組子に持せ、自分は神壇の下の大竅
はしご
を覗いて見ると、何だか梯子の様な物が掛てありました、是に依て尚も竅を
広げて見るといふと、正しく梯子が掛けて居りますから、ウム此内に何か不
つ け
思議の物があるであらうと、大胆剛勇なる大塩先生、手燭を点火て梯子から
下へ下りて参りました、然るに、其下は石畳みになつて居て、隅の処ろに長
持が一つありましたから、篤と夫を見届けて上つて参り、四五人の組子を入
れて其長持を上へ持出させました、之を見たる豊田貢は大に驚ろき
「ヤア夫を……」
といひながら側へ寄らんといたしましたが、グル/\巻になつて居りますか
ら、如何ともいたし方がありません、無念の歯咬を為して居りました、大塩
は早速其長持を開いて見ると、中からは十字架の耶蘇の象が出て、夫から横
文で書た本が三冊、其外法衣等が出でましたから、最早耶蘇切支丹を信仰し
て居たるの証跡は充分に上りましたから、直に右の長持其他の証拠物を大坂
へ運びました、個様の証拠があつては堪りません、豊田貢は遂に白状に及ぶ
といふお話し
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