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毒婦豊田貢は、大塩平八郎の為めに捕へられまして大坂へ廻されますと、最
早充分なる証拠が上つて居るのでありますから、直ぐに白状に及びました、
其調べる処ろを委しく弁じて居りますと中々長く相成ります、其上此お話し
みなさん が た
は看客諸君の方が好く御存知でざいますから、畧します、さて其処で豊田貢
いろ/\ まじな
は御法度になつて居る切支丹の邪宗を弘めん為め、種々なる咒咀ひをいたし、
多くの男女を迷はし、多額の金銀を奪ひ取たるは不届至極といふので、大坂
はりつけ
三郷引廻しの上磔刑となりまして、其他の仲間も夫々の刑に処せられて、又
は や
此頃大坂市中は申すに及ばず、近郷近在まで盗賊が流行りました、流行りも
よ
のに能いものはありませんが、其中でも盗賊の流行りなどは一番悪い、され
ば大塩先生吟味方でありますから、非常に此事を心配いたして、充分に手を
廻して探索をいたしますが、其様に流行る強盗窃盗が一人も捕まりません、
其処で大塩先生は不思議にして毎夜自分が姿を変て諸所を忍んで歩いて居ま
かう
すが、中々知れない、茲で斯いふことは遊女屋が一番探り易いものでありま
すから、大塩先生も新町の遊女屋近辺は毎夜参りますと、不夜城といふ程の
くるわ ど こ かしこ
遊廓のことでありますから、何処彼処も盛んでございます、然るに大塩先生
あちら こちら
は彼方此方とブラ/\忍んで歩いて居りますと、不斗出逢ひましたのが西組
の一等与力弓削田新左衛門の組子になつて居て、悪事を働らく処ろの勘次、
作造の二人であります、ヂロリと其様子を見ると、頃しも文政十二年十月の
ことでありますから、両人は上には黒羽二重五ツ紋の立派な対の羽織を着て、
あはせ
越後紬の上等の袷に白献上の帯をしめ、金銀打ばめたる大小を挟して居りま
こいつら な り
す、ハテナ此奴等二人、姿形は立派だが相形は甚はだ悪い、且つ又城中の人
なら見知らねば相成らん筈であるが……、殊によると盗賊かも知れん、何し
ろ驚ろかして見やう、顔は一寸見たことがあるが、想ひ出せないと思つて居
ります、顔に覚へがある筈です、天満天神社の裏で、只今は自分の妻になつ
わるもの
て居るおまちを奪をうとした悪漢共でありますから、確かに見たことがある
ふたり つけ
のでございます、夫とはなしに大塩先生が両人の跡を尾て参りましたが、両
あが
人は花形楼といふ遊女屋へ登りました、先生も跡から登つてまゐりますと
「入らつしやい」
といふと両人とは別の座敷へ案内をいたされましたから、其処で一杯飲み、
きま みな
相方も定つて床に入る、此辺の処ろは委しく申し上げられません、宜しく看
さん すゐ
客のお推もじに任せ、さて床に入りますと
「大夫、少し御前に尋ねたいことがあるが」
ぬし
「ハイ、今宵一夜は主さんの妻じやもの、何なりとお尋ね遊ばせや」
ほか
「左様か、夫は有り難い、実は外でもない、拙者……私が登る前に両人、立
さむらひ あれ
派の武士が登つたが、那は何処の藩だか知らないか、大坂の人ではあるまい」
あんた
「オホヽヽ、阿呆らしや、貴郎さんは御存知あらんせんかえな、私しも好く
は存じませんが、毎夜の様に参りますから、大坂の衆と思つて居りますわ」
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鬼雄外史
「大塩平八郎」
幸田成友
『大塩平八郎』
その25
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