罪子孫に及ぷといはれまして、流石貪慾の弓削田新左衛門もギヨツと驚ろき、
                             いと
自分は悪事を働らいたるものゆへ、如何なる重罪に処せられるも厭はんが、
                                 おの
何も知らぬ妻子にまで同罪を科せられるかと思へば。刀の柄へ掛けた手も自
  ゆる
づと緩んで見へました、虚を付け入て大塩先生
「先づ弓削田氏、之を御覧なされ」
と勘次、作造の申し立てたる口書を其処へ差出しました、新左衛門、夫を取
                              ふたり  しや
上て読で居ますると、自分等のいたした悪事は残らず勘次、作造の両人が喋
べ
舌つて居りますから、大に驚ろきまして
                とら
「ウム、されば勘次、作造は最早召捕れしか」
  こぶし
と挙を握つて歯を噛みしめました
 いかゞ
「如何でござる、既に個様に貴殿の悪事は勘次、作造の両人から申し上げて
                            きつくわい
あれば、今更ら包むとも詮方はあるまい、与力にあるまじき奇怪の処業をい
                            かく       すみ
たし、此こと他へ聞へなば、我々同僚の不面目此上やあらん、斯なる上は速
やかに御切腹なされ、然る時は及ばずながら拙者の取計らいにて貴殿の家は
               それ
立ち行くやうにいたしまするが、夫とも拙者に見顕はされたるを無念に心得、
        かく      そ
拙者を切て其罪を蔵さんとならば幵は貴殿の御意に任す、憚かりながら拙者
              つか
も聊さか腕に覚へあれば手足を束ねて貴殿のなすまゝに任する訳にも往かず、
             いづ
切腹するか、拙者を切るか、孰れにするも御心次第、御返答は如何でござる
な」
      かうべ
黙然として首を垂れて居りましたる新左衛門、何を思ひましたかハラ/\と
涙を流し
                          たつ       まえ
「イヤ、是は大塩氏、誠とに拙者が相済ん、其申し訳には只た今貴殿の御前
にて切腹仕まつる間、跡のことは特別の御憐憫を以て、悪人の家ながらも妻
子は何も存ぜぬ者ゆゑ、宜しく御取計らひを願ひ上まする」
と恩愛の情は又格別、ハラ/\と涙を流したることにて、頻りに平八郎殿の
前へ首を垂れまする、此有様を見たる大塩先生
「ハヽア、然らば貴殿は今までの悪事を御後悔なすつて、速やかに御切腹な
さるとか、アヽ流石は弓削田氏でござる、さる上は跡のことは拙者、身に引
受けて家の立ち行くやうに計らひまする間、御心配なく御切腹なされ」
                     め て
といはれまして、新左衛門、肌を脱いで短刀右手に左りの脇腹へグザと刺し、
キリ/\と引廻して其儘其処へ倒れました、大塩殿は今更に憫れに思ひまし
                    すだい
て直ぐに高井山城守へ此趣むきを申し上げ、数代続きし弓削田の家は取潰す
             つが
に忍びない処ろから忰に家を続せんことを申し上ましたが、大悪人の家なれ
ば左様の訳にならんといふので、遂に弓削田の妻子は大坂追放と相成りまし
た、併し一命に別條のなかつたのは、是れ大塩の計らひがあつたからであり
                こと      しよ
ました、夫から連類の者三十六人は悉ごとく死刑に所しましたから、大坂中
     いづ       おのゝ
の与力衆は孰れも恐れ戦きまして、夫よりは一人も賄賂を取り盗賊と交はり
を結ぶ様なものがなくなつて、孰れも熱心に盗賊を詮議いたしまする処から
                              こら
大坂市中盗賊の痕を一時絶へたと申します、是れ皆大塩先生が悪を懲し善を
勧めるよりいたして左様に結搆な世の中になつたのであります、
 
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