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平八郎、晴れやかに笑つて座中を見廻す。一同、不審さうに聞く。
つら
平八郎 (笑つて)郷左、何か云ひたさうな面だな。はゝはゝゝ。では云
つて見ようか、聞けよ。いま諸国の大名はみな財政に困窮して、大
坂町人の借銀をもつてカツ/\台所を繰り廻してゐるのだ。殊に大
節季の足元に来て、銀主一統から融通お断わりといふことになれば、
厭やでも今年の産穀を当津へ積み込んで、それを銀に換へなければ
歳を送れないに決つてゐる。また堂島淀屋橋の相場にお手入れして、
二三十目も相場を上向ければ、近国近在の百姓等はその値段に暗ま
されて、今まで来年高を思惑して出し惜しんでる囲米を、みな大坂
へ輸送するに相違ない。そら、船で来る、馬で来る、はゝはゝゝ。
見ろ、ものゝ十日と経たぬうちに、大坂府内に常備米の四百万石が、
五百万にも六百万にも有り余るだらう。何も狼狽することも、憂ふ
ることもないのだ。はゝはゝは。遠慮なく批判してくれ。庄司、貴
ぢかた
公は地方同心も勤めたのだ。何んと考へる。
庄 司 さやうでどざいまするなア――。
河 合 (進み出て)そりや米穀は集まります。頭で相場に二十日も鞘が
開いてゐるから、論なく米は集まりませう。然しその開きの金子は
何処より産み出します。
平八郎 郷左、お前の智慧には無理だ。(笑ふ)
河 合 然し――。
平八郎 瀬田生、貴公はどう解釈する。
瀬 田 (腕組みを解き)分りません。
くらゐ
平八郎 貴公等は金銀の運用に欺かれて、物の価位を忘れてゐはしないか。
物価の高下は金銭にあると思つては間違ふぞ、物そのものが価なの
だ。人は銀を食ふのではない、米を食ふのだ。市場に米穀さへ潤沢
になれば、生民に饑餓はない筈だ。その証拠に、仮に大坂に七百万
石の米が集まつて見ろ、厭やでも米価は低落して、相場は百目以下
に割れるに相違ない、金銀を通して米を見てはいけない、物を通し
てその価を見なければならぬ。これが経済の骨髄なのだ。
ごさつと
瀬 田 先生の説に従つて、仮に奉行所の御察当をもつて、二箇所の米相
場を二十目づつ引き上げると致します。市中の小売相場はその時ど
うなりませう。白米一升二百五六十文になりはしませぬか。
平八郎 それを考へないと思はれては困る。はゝはゝゝ。おれは一升二百
五十が三百文にも上らせたいのだ。
はつきり
河 合 先生、愚昧な者には分りません。判然と教へて下さい。
平八郎 口に慎みのない男だ。聞け。なる程、この上相場が暴騰すれば、
貧民の難渋は知れてゐることだ。(熱心に河合を睨みつけ)が、今
なんびと ふところあい
日を何日と思ふ。師走も十日以上過ぎてゐるのだぞ。何人の懐合も
節季金に押し詰つてゐる時だ。好いか、大坂相場が天井値段と聞く
と、五七日とも経たぬ間に、先を争つて紀州大和の廻米が入津する。
播州広島は先づ十日と見よう。西国九州の遠国米は蔵屋敷に談じて、
手附をうつても済む。兎に角、諸国の売人気を大坂に向けさへすれ
ば、値段の暴落は見え切つてゐる。貧民が苦しむといつても、高が
その間だけなのだ。三百文の米を食ふのは何日の間でもない。僅か
七日か十日の苦しみだ。その五七日の 間こそお蔵米を施すなり、
都下の金持どもに施米を強ひるなり、或は闕所銀、或は御用金、町
奉行一個の才覚をもつて、貧民の難儀を救ふ方法は幾らでもある筈
だ。差し当りての人民の難儀は、来年麦秋までの食米を大坂に集め
るための元入れだ。小に失つて大に取る。それぐらゐの智慧が廻ら
ないか。
平八郎、激昂するまゝに、一同を忘れ、たゞ河合一人を目標として
圧倒的態度となる。彼の性癖なり。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その104
御察当
非難、抗議
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