Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.7.30

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その4

真山青果(1878-1948)

『真山青果全集 第4巻』 大日本雄弁会講談社 1941 収録

◇禁転載◇

第一幕 (4)

管理人註
  

    平八郎、晴れやかに笑つて座中を見廻す。一同、不審さうに聞く。                     つら 平八郎 (笑つて)郷左、何か云ひたさうな面だな。はゝはゝゝ。では云    つて見ようか、聞けよ。いま諸国の大名はみな財政に困窮して、大    坂町人の借銀をもつてカツ/\台所を繰り廻してゐるのだ。殊に大    節季の足元に来て、銀主一統から融通お断わりといふことになれば、    厭やでも今年の産穀を当津へ積み込んで、それを銀に換へなければ    歳を送れないに決つてゐる。また堂島淀屋橋の相場にお手入れして、    二三十目も相場を上向ければ、近国近在の百姓等はその値段に暗ま    されて、今まで来年高を思惑して出し惜しんでる囲米を、みな大坂    へ輸送するに相違ない。そら、船で来る、馬で来る、はゝはゝゝ。    見ろ、ものゝ十日と経たぬうちに、大坂府内に常備米の四百万石が、    五百万にも六百万にも有り余るだらう。何も狼狽することも、憂ふ    ることもないのだ。はゝはゝは。遠慮なく批判してくれ。庄司、貴      ぢかた    公は地方同心も勤めたのだ。何んと考へる。 庄 司 さやうでどざいまするなア――。 河 合 (進み出て)そりや米穀は集まります。頭で相場に二十日も鞘が    開いてゐるから、論なく米は集まりませう。然しその開きの金子は    何処より産み出します。 平八郎 郷左、お前の智慧には無理だ。(笑ふ) 河 合 然し――。 平八郎 瀬田生、貴公はどう解釈する。 瀬 田 (腕組みを解き)分りません。                      くらゐ 平八郎 貴公等は金銀の運用に欺かれて、物の価位を忘れてゐはしないか。    物価の高下は金銭にあると思つては間違ふぞ、物そのものが価なの    だ。人は銀を食ふのではない、米を食ふのだ。市場に米穀さへ潤沢    になれば、生民に饑餓はない筈だ。その証拠に、仮に大坂に七百万    石の米が集まつて見ろ、厭やでも米価は低落して、相場は百目以下    に割れるに相違ない、金銀を通して米を見てはいけない、物を通し    てその価を見なければならぬ。これが経済の骨髄なのだ。                     ごさつと 瀬 田 先生の説に従つて、仮に奉行所の御察当をもつて、二箇所の米相    場を二十目づつ引き上げると致します。市中の小売相場はその時ど    うなりませう。白米一升二百五六十文になりはしませぬか。 平八郎 それを考へないと思はれては困る。はゝはゝゝ。おれは一升二百    五十が三百文にも上らせたいのだ。                    はつきり 河 合 先生、愚昧な者には分りません。判然と教へて下さい。 平八郎 口に慎みのない男だ。聞け。なる程、この上相場が暴騰すれば、    貧民の難渋は知れてゐることだ。(熱心に河合を睨みつけ)が、今                            なんびと ふところあい    日を何日と思ふ。師走も十日以上過ぎてゐるのだぞ。何人の懐合も    節季金に押し詰つてゐる時だ。好いか、大坂相場が天井値段と聞く    と、五七日とも経たぬ間に、先を争つて紀州大和の廻米が入津する。    播州広島は先づ十日と見よう。西国九州の遠国米は蔵屋敷に談じて、    手附をうつても済む。兎に角、諸国の売人気を大坂に向けさへすれ    ば、値段の暴落は見え切つてゐる。貧民が苦しむといつても、高が    その間だけなのだ。三百文の米を食ふのは何日の間でもない。僅か    七日か十日の苦しみだ。その五七日の 間こそお蔵米を施すなり、    都下の金持どもに施米を強ひるなり、或は闕所銀、或は御用金、町    奉行一個の才覚をもつて、貧民の難儀を救ふ方法は幾らでもある筈    だ。差し当りての人民の難儀は、来年麦秋までの食米を大坂に集め    るための元入れだ。小に失つて大に取る。それぐらゐの智慧が廻ら    ないか。    平八郎、激昂するまゝに、一同を忘れ、たゞ河合一人を目標として    圧倒的態度となる。彼の性癖なり。
















幸田成友
『大塩平八郎』
その104














































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