Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.8.1

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大塩の乱関係論文集目次


「天満水滸伝」

その5

三田村鳶魚

『芝居のうらおもて』玄文社 1920 所収

◇禁転載◇


林家の頼母子講

 幸田氏は平八郎の江戸遊学を否定し、東遊せざる彼と林大学頭(名衡、号述斎)との関係を述べて、

と云はれた。交誼のない林家のために、平八郎が金策した、此の解釈は幾様にも試みられる、此の際、三村竹清氏が、歴史の争ひは声の大きい方が勝つ、と云はれたのを名言だと思ふ、斯うした関係を外にして、祭酒林公亦愛僕人也(「寄一斎佐藤氏書」)などゝ遣る、如何にも知遇を得たらしい、対手(あいて)が対手だから、その知遇は学問上から来たらしくも見える、処が左様でなくて、最も嬉しがられる寸法に拵へて置いたのだ。お世辞を尽した佐藤一斎の手紙、一斎は貰つた鯛を魚屋へ払物に出すので有名な先生、御目録次第で親友にも兄弟分にもなり兼ねない、其の頂戴屋の褒めたのが嬉しくて、例の洗心洞剳記の附録に載せて居る。拙堂も山陽も頂戴屋で、拙堂の如きは面識もなかつたといふが、相応にお世辞は勉強して居る、山陽はなか\/懇意にした、従つて御愛嬌も余計にある、共に鄙人に相違ない、此の両人の難有味は、他の機会にお聞かせ申すことにし たい。

 林家の用人が借りに来た時も、大学頭殿へお土産といふので、塾生を呼び出し講習させた、林家の用人は聴聞せざるを得ない時期に於て、当時学問に志す者の栄誉とするに足る方法、即ち林家の用人の前で講釈をして、仮にも大学頭殿へお土産にと云ふ、これで如何程塾生等が喜んだであらう。金穴の門弟の氏名も、講釈をした塾生の氏名も伝はらないが、此の辺から調金の方法を推測されぬでもあるまい、中斎先生は門人をも喜ばせ、林家をも嬉しがらせる手腕があつたのである。融通の才とでも云ふのか、斯の如く怜悧な人であるから、『遠近に徳を敷き、人の心を得ること大方ならず』と早崎状にも書いてある、徳は得なり、中斎先生の評判の善いのが首肯される。


相蘇一弘「大塩の林家調金をめぐって


「天満水滸伝」目次/その4/その6

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