三田村鳶魚 『芝居のうらおもて』玄文社 1920 所収
◇禁転載◇
江戸がかくも無事であつたのは、占買(かひしめ)をした町人がないと信ぜられたのと、適当な挑発者がなかつたとの故である。天明は関東東北の凶作であつたが、占買の商略の為めに、殊に市価を昂上して、天保七年には全国の不作で、平均四分二厘四毛作と見做(みな)された、八年に米穀の欠乏を告げるのは事理の当然で、全くの天災である、しかし市価の昂上は天明の比ではない。試みに一両に就ての比較表を造つて見れば、
天明七 | 天保八 | |
正月 | 三斗三升 | 二斗七升 |
二月 | 四斗五合 | 二斗二升 |
三月 | 三斗七升 | 二斗二升 |
四月 | この二ケ月不定、 或は一斗五升 | 二斗四升 |
五月 | 二斗三升 | |
六月 | 一斗八升 | 二斗二升 |
七月 | 二斗七升五合 | 二斗 |
八月 | 四斗二升五合 | 二斗七升 |
九月 | 六斗八升 | 三斗一升 |
十月 | 六斗六升 | 四斗 |
十一月 | 六斗四升五合 | 三斗九升 |
十二月 | 六斗四升 | 三斗八升 |
天明の江戸暴動は、一斗五升を呼んだ時に起つた,同時に大阪でも飢民が蜂起した、天保八年の大阪肥後米標準相場と在米とは、
在 米 | 市 価(一石立) | |
正月 | 四十万千九百俵 | 百五十乃至六十一匁 |
二月 | 二十七万四千九百五俵 | 百六十七匁 |
三月 | 二十万千五百五十俵 | 二百十八匁五分 |
四月 | 十三万三千八百五十俵 | 二百四十二三匁 |
五月 | 十二万二千三百五十俵 | 二百二十五匁 |
六月 | 十七方七千四百七十五俵 | 二百四十八匁 |
七月 | 十万二千六百俵 | 百八十一匁五分 |
八月 | 九万四百七十俵 | 二百匁 |
九月 | 六万三千二百十俵 | 百二十匁 |
十月 | 十万七千五百五十俵 | 九十三匁七分 |
十一月 | 八十八万八千五百九十俵 | 九十一匁八分 |
十二月 | 八十五万三千九百四十五俵 | 九十七匁 |
正月の相場と最も高き六月の相場とでは、殆ど六割四分二厘三毛強の騰貴である。大阪町奉行は、七年十一月十日に他所積みを禁じ、十二月五日に、江戸より仙波太郎兵衛、内藤佐助、永岡伊三郎の手先が買米のため上阪するが、当地の米商は一切これに関係してはならぬと達しと、在米の滅少を防いで居る、けれども十一月二十九日に、在々有合せの米を江戸に積出すのは差支えもないと諭示して居る、これで大阪市中の在米のみを保留する意志なのが知れる、果して然らば、適当な防穀令だと思ふ。
「大塩の乱関係論文集」目次