Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.8.29

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大塩の乱関係論文集目次


「天満水滸伝」

その9

三田村鳶魚

『芝居のうらおもて』玄文社 1920 所収

◇禁転載◇


天保の米価 (1)

 江戸がかくも無事であつたのは、占買(かひしめ)をした町人がないと信ぜられたのと、適当な挑発者がなかつたとの故である。天明は関東東北の凶作であつたが、占買の商略の為めに、殊に市価を昂上して、天保七年には全国の不作で、平均四分二厘四毛作と見做(みな)された、八年に米穀の欠乏を告げるのは事理の当然で、全くの天災である、しかし市価の昂上は天明の比ではない。試みに一両に就ての比較表を造つて見れば、

天明の江戸暴動は、一斗五升を呼んだ時に起つた,同時に大阪でも飢民が蜂起した、天保八年の大阪肥後米標準相場と在米とは、

 正月の相場と最も高き六月の相場とでは、殆ど六割四分二厘三毛強の騰貴である。大阪町奉行は、七年十一月十日に他所積みを禁じ、十二月五日に、江戸より仙波太郎兵衛、内藤佐助、永岡伊三郎の手先が買米のため上阪するが、当地の米商は一切これに関係してはならぬと達しと、在米の滅少を防いで居る、けれども十一月二十九日に、在々有合せの米を江戸に積出すのは差支えもないと諭示して居る、これで大阪市中の在米のみを保留する意志なのが知れる、果して然らば、適当な防穀令だと思ふ。


石崎東国「大塩平八郎伝」その91


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