Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.11.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『日本倫理学史』(抄)その2

三浦藤作 中興館 1943

◇禁転載◇

第三篇 近世  第四章 徳川時代の諸学派
  第二 陽明学派
   第六節 大塩中斎(2)
管理人註
  

  学 風  中斎は師伝に依らず、自ら陽明全書を研究し、遂に頼山陽の所謂小陽明の 域に達したのである。然れども彼は妄りに異端を排斥する偏狭なる学徒では なかつた。彼は自ら、「我が学たゞ仁を求むるにあるのみ。故に学名なし。 強ひてこれを名づけて孔孟学と云ふ。」と云ひ、また「程朱の学、大抵経書 の精微、性命の底蘊を説破するなり。陽明先生の学、其の中に就いて易簡の 要を提ぐるなり。」と云ひ、陽明の教と共に、程朱の学を重んじたが、たゞ 仁斎・徂徠の学に対しては、これを孔孟学の余唾に過ぎざるものとして居る。 彼は常に実践躬行を主として、記誦の学を斥けた。師弟の間は極めて厳格に して、入門の際に死を以て誓はしめ、若し学則に反するが如き者あらば、こ れに鞭を加へた。


井上哲次郎
「大塩中斎」
 その15


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