学 風
中斎は師伝に依らず、自ら陽明全書を研究し、遂に頼山陽の所謂小陽明の
域に達したのである。然れども彼は妄りに異端を排斥する偏狭なる学徒では
なかつた。彼は自ら、「我が学たゞ仁を求むるにあるのみ。故に学名なし。
強ひてこれを名づけて孔孟学と云ふ。」と云ひ、また「程朱の学、大抵経書
の精微、性命の底蘊を説破するなり。陽明先生の学、其の中に就いて易簡の
要を提ぐるなり。」と云ひ、陽明の教と共に、程朱の学を重んじたが、たゞ
仁斎・徂徠の学に対しては、これを孔孟学の余唾に過ぎざるものとして居る。
彼は常に実践躬行を主として、記誦の学を斥けた。師弟の間は極めて厳格に
して、入門の際に死を以て誓はしめ、若し学則に反するが如き者あらば、こ
れに鞭 を加へた。
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