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哲学説
大塩中斎の根本思想は帰太虚の三字に帰著する。帰太虚説は中斎の哲学説
たると共に、倫理学説の基礎である。帰太虚とは太虚に帰すると云ふことで
ある。然らば中斎の所謂太虚とは如何なるものであるか。
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太虚説 中斎は宇宙の本体を太虚と名づけ、此の太虚を以て無形の一霊明
とし、「それ太虚は一霊明のみ。此の霊明即ち昼夜に通じ、古今に通じて滅
せざるの明なり。」と説明した。太虚は宇宙の本体である。従つて天地間に
於ける一切万物は、悉く太虚より分出せるものである。太虚は無形なる一霊
明である。即ち天である。人は皆彼の上にありて蒼々たるものを天となす。
されど中斎は、「天特に上にありて蒼々太虚なるのみにあらず、石間の虚、
竹中の虚と雖も亦天なり。」と云つて居る。石間の虚若くは竹中の虚も亦天
である。従つて我が方寸の心も亦天ならざるを得ない。茲に於て中斎の太虚
は心の本体となつた。太虚は心の本体なるが故に、我が方寸の中にも存する。
我が方寸にして虚ならば、此の虚は直ちに口耳の虚と通じ、口耳の虚は直ち
に心外の太虚と通じて一となり、際限なく四海を包括する。即ち大にしては
太虚、小にしては我が方寸、太虚は方寸の中にあり、方寸は太虚の中にある
と云ふことになる。彼は「躯殻外の虚、便ちこれ天なり。天は我が心なり。
心万有を保含す。是に於て悟るべし。故に血気あるもの、草木瓦石に至るま
で、其の死を観、其の摧折を視、其の毀壊を視れば、則ち我が心を威傷せし
む。もと心中の物たるを以ての故なり。」と述べ、人天合一論を主張して居
る。斯くの如く、身外の虚を以て天なりと為し、我が心を天と通ずるものと
考へ、心を以て一切万物を包含するものとする思想は、陽明の「心則ち理な
り。天下又心外の事、心外の理あらんや。」と言へると同じ主旨である。彼
はまた吾人の本心は宇宙の実在たる太虚の宿在する所なるを以て、道徳の本
源なりとし、「吾はたゞ天地の中、即ち太虚の徳にして、これを人の方寸の
心に付す。而して方寸の心は太虚の徳を含む。」と云ひ、更に「方寸の虚は
太虚と刻くも通せざるべからざるなり。如し隔つて通ぜざれば、則ち生人に
あらざるなり。何となれば、今物を以て口中を塞ぐ時は、則ち方寸の虚閉ぢ
て呼吸絶え、忽ち死人と為らん。故に方寸の虚は刻くも太虚と通ぜざるべか
らざるなり。是れ他なし。太虚即ち心の本体たるを以ての故なり。亦何ぞ疑
はんや。」と述べて居る。太虚説は支那に於て既に張横渠がこれを唱へ、我
が国に於ては中江藤樹がこれを道破した。中斎も自ら此の説が創唱にあらざ
ることを言明して居る。併しながら、此の思想、其の学問の真髄としたるは、
陽明学派中に異彩を放つものである。
中斎の所謂太虚説は仏教の空観に似て居るが、中斎は此の説が老荘仏教よ
り来るものにあらずして、孔子以来の儒門の定説なることを弁じ、「五倫太
虚にあらざれば、皆偽のみ。太虚なれば五倫各々其の正を得て、而して道徳
其の中を貫く。」と言ひ、「儒中の聖賢、古嘗て克己復礼以て本然の空を全
うするあり。而して中なり仁なり。皆恙なし。孝弟忠信、喜怒哀楽、斉家治
国平天下の事、尽く此の空中より出づ。以て位育の功を遂ぐるを獲たり。仏
氏の徒侶、大抵鑿心刳性、終に槁寂の空をなす。而して中なり仁なり、皆滅
せり。故に孝弟忠信、喜怒哀楽、斉家治国平天下の事、発出すること能はず、
豈に亦位育の功を遂ぐるを獲んや。是に於てか見るべし。我が空と彼の空と
相去ること千万里なるを。」と言つて居る。
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『洗心洞箚記』(本文)
その83
井上哲次郎
「大塩中斎」
その22
『洗心洞箚記』(本文)
その3
『洗心洞箚記』 (本文)
その34
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