Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.11.12

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大塩の乱関係論文集目次


「― 歴史における個人 ― 
    大 塩 は 通 史 で ど う 描 か れ た か 〔四〕
その1

向江 強

大塩研究 第43号』2001.3より転載


◇禁転載◇

(一)

 山川出版社の『日本歴史大系』全五巻・別冊一巻が一九八四〜九○年にかけて刊行された。のち普及版全一八巻が出ている。*1 大塩の乱については、「11幕藩体制の展開と動揺(下)」に、 第三章 天保の改革、第一節 天保飢饉と大塩の乱、として大口勇次郎氏による記述がある。 大口勇次郎氏による大塩論は、前号でも紹介した如く『岩波講座日本歴史』12「近世4」に次いで二度目である。

 今回のものは、「お陰参り」、「凶作と飢饉」、「百姓一揆」といった項目が論述された後、「大塩の乱」として独立に取り上げられている。先ず大塩の乱の直接の要因となった大坂の米穀事情が述べられ、大坂町奉行所の窮民に対する救済措置、これを不満とする大塩の蜂起とその有様及びその最後までが描かれる。

 大塩が蜂起するにいたった心情として、「檄文」の文章が解説される。乱に参加した農民の出身村として、大坂北部淀川下流左岸の低湿地の摂津東成、河内茨田郡、河内交野郡に多く、農村分解の状況は、摂河泉地域としては比較的分解度の微弱な地帯に集中しているとの認識を示しているのが注目される。

 また大口氏は、大塩の乱の周囲に及ぼした影響は計り知れないものがあったとして、「第一に、江戸に次ぐ第二の都市、諸国の米が廻送される天下の台所¢蜊竄ノおいて発生したことの意味は大きく、事件の情報はただちに全国に伝えられた。第二に、隠居した下級官吏とはいえ、れっきとした支配階級である武士身分の者が反旗をひるがえしたことは、各地で生起している百姓や町人たちの打ちこわしとは質的に異なる衝撃を社会各層に与えた。さらに第三には、大塩の配布した檄文が、これまで治者のイデオロギーとされた儒学の論理によって、不仁をなす政治への批判と蜂起の正当性を主張したことである。檄文は幕府当局者が固く禁じたにもかかわらず、ひそかに筆写されて武士・農民を問わず知識人の間に流布したことによっても、大塩の思想の伝播力を知ることができる。」と述べている。前回の論文に比べ基本的な相違はないが、″治者のイデオロギーとしての儒学の論理が、不仁をなす政治への批判と蜂起の正当性を主張するもの″となったとしたのは、前回よりさらに踏み込んだ評価を示すものである。本論文には、大塩の人物像、事件の経過・概要、大塩蜂起の思想的根拠、乱参加者の分析、等々についての文献が註記されているのが便利である。

 一九九二年、集英社版『日本の歴史』M「 崩れゆく鎖国」が刊行された。著者は賀川隆行氏である。大塩の乱は、お陰まいり、郡内・加茂騒動に続く天保の大一揆という位置付けの中で取り上げられるが、特別新しい知見や評価は見られない。

一九九一年から中央公論社の『日本の近世』全18巻が刊行されたが、どの巻にも遂に大塩の乱は、まともに取り上げられなかった。 日本の近世史を体系的に取り上げた叢書ともいうべきものに大塩の乱が欠落しているというのは一体何故か。理解に苦しむ所である。現在講談社から二一世紀最初の日本通史と銘うって『日本の歴史』全26巻が刊行されつつあるが、二月までに四巻までの配本であり、近世については、なお後のことになろう。



 Copyright by 向江 強 Tsuyoshi Mukae reserved


管理人註
*1 『日本歴史大系 3 近世』井上光貞ほか編 山川出版社 1988
普及版『日本歴史大系 11 幕藩体制の展開と動揺 下』井上光貞ほか編 山川出版社 1996


「大塩は通史でどう描かれたか」
目次/〔三〕その5/〔四〕その2

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