Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.10.10

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大塩の乱関係論文集目次


「旧鴻池邸と大塩事件のルポ
『浪 華 市 奇 火 災 見 聞 之 記』

―旧鴻池邸表屋 町人文化史料館の宮崎家文書紹介―」

その6

中瀬 寿一 (1928−2001)

『大阪春秋 第40号』1984.7より転載

◇禁転載◇

五 (つづき)

    悪党事跡伝聞記

逆徒等最初与力丁放火して追\/西南へ出来り天満ばしを渉んとなせしかど、南詰にて公の御人数鉄炮の筒先を揃へ厳重に御備あれハこ叶わじとやおもひけむ、夫北西へ段\/と興正寺の御堂天満官の社なと乱妨放火におよびしよし、神明仏陀の畏れなく悪逆類ふへくもあらす、不法の到り言語に絶しいと悪むべく事になん、がくて拾丁目すじを南へ天神ばしを渡らむとせしに、早くも西御組山本善之助ぬしの御下知にて橋を半より切落したれハ、詮方なく難波ばしすじへいたりしに、此所をも切落さんず御手当ありて既に人足どもあちこちと斧を入れありつるあり、凶徒等早くも来りてかの車にのせたる大筒を押向たるゆヘ、人足ハ打驚き其儘に遁さりたるよし、此時逆徒今少しおそかりせバよも船場ヘハ渉るまじ残念なる事よと、ある人の語り待る

 我等妹婚肉平野町式丁目卯市なるもの、二月十九日あさ天満出火の聞へあれパ同所専念寺にある御位牌取退の事かねて仰のけられありしかバ、いち速も早くも人足引(つ)れ右恵念寺へ馳参り、御大切の品\/など外方へ移しま いらせ引反しとり残せ御物を取出し奉らむと専念寺へ至りしに、最早爰彼所八鳥悦の音聞へ遁よ\/と呼りこは叶ハじと思ひ、天神橋ハ群集したらんとおもひ難波橋をバ渉りて回らむと歩行しに、道の程にてかの悪徒に正しく両三度も出あひ、そか中に壱度ハひたと行あひ遁るに路なく、止ことを得す行端に蹲踞て目のあたりそか備へを宥しといふ者

 先手ことみすじに桐の紋つきたる籏二流土民めきたる男恭しく持居たり、次に大筒をいと砥き石なと持運ひするが如き新き車に乗せ、壱人の大男赤裸にて腹帯を〆綱もて曳来り、そが車の前後を四人あまり黒き衣服を着し裾端高にかゝげ、白き鉢巻し両刀を横たへたる者警固し、跡より宗民と大文字に書付たる籏を人足にもたせ、其辺りに引添たるハ其手の魁首にやあるらむ、光り輝く鍬形の甲を着し白革の物の具して、手にハいと長キきらめきたる鉄鞭を採て差図なす体にて、其者の左右後ともにとり囲たる者十個あまり、皆一様の出立にて黒き衣服を着し、裾をかゝけて脛をあらわし下に綴帷子に平臑当透間もなく着下し、自き鉢巻して手にハ各\/ヽ鑓を携ヘ、両刀を鐺高に着下し、前後左右隊伍を乱さす徐々と歩ミ来る、其人数凡二十人三十人には過ざるべし三月十三日松原町御役所行ありて東御番所へいたりしおり、同丁紀伊国屋市兵衛といへる人よりかり受写し待る、悪徒松本林太夫白状の趣、前書の説とハ大ひに異なり左に記出ス、

 二月十九日朝五ツ時前より天満与力丁出火致し夫木筒大筒抔飛道具を以難波ばし鳩 池善右衛門居宅を打焼火災ニ相成候次第を尋ルニ左之大塩成人如何致候哉評議度々ニ御座候尚委敷義者跡申上候

二月廿七日惣会所勘定場ニ而御救懸り丁々固僚借受写取候備書ハ前出林太夫申条と大同小異あり并て茲に摸写候

  右之通御座候よし

三月三日農人橋詰町同僚の人よりかり受写し侍る悪徒等の捨文なるといふものあり是者淡路丁堺すし井戸より出たるものにて奉書やうの紙に版にて摺たるよし同所弐丁目良介なる人見て写し侍るよし自らいへり則左に記書ス

 上包ハの嚢に入れありしよし
 表紙に
  天より被下付候
   村々小前之もの共江

一、或人のいふ、大塩兼て朽るよしありて此事ハ二月廿三日に起すべく積にてありしに、平山助二郎なるもの反忠せしにより猶与なしがたく俄手配して十九日に発挙せし由、さるゆへ兼而の手筈齬て合期せざりしとぞ

一、二月廿五日の事はやありけむ、吾親族うち平野町卯市方より焼跡の絵図諸免手伝呉よと疎来し侍るにぞ、そが仮宅西下宿請所とかいふめる所の路じ髪結音市なる者の家に至り しおり、往来の人々いとゞ喧しく今なむ細乗物二挺
 公庁へとて舁もて来ぬるとて奔走なすにぞ、何事やらんと思ひ居たりしに遥に跡にて聞ハ、其日伏見駅にて御擒に相成りたる者二個、壱人ハ守口村庄官三左衛門てふ人と壱人ハ大塩召仕ひの若党外に土民大勢持て帰り給ひしよし

一、近在之内摂洲播洲津々浦々江御触有之候又丁内久治郎てふ人より写書かりうけ

   左二記ス

此度於大坂不容易成儀相企候大塩格之助父平八郎江致徒党候忰格之助瀬田済之助渡辺良左衛門近藤梶五郎庄司茂左衛門其外名前不知者共行衛不相知船ニ而迯去候程も難斗候間怪敷者より廻船者勿論小船漁船等ニ而他国江便船相頼候共決て備申間敷候如何体にても手当いたし不取迯様其所ニ留置早々大坂奉御所へ訴出候ハゝ為褒美其者へ銀百枚手伝候者へも相応之褒美可差遣条此旨相心得津々浦々江不洩様早々可相触者也

 但此触書先格之通浦々無滞相廻し触留  大坂東番所へ可持参候 已上

酉二月廿二日

 伊賀 印 摂洲 津々浦々
 山城 印 播洲 庄屋
           年寄

右之通人相書相添へ御触出候間相達条於村々も右之趣相心得此廻状村下々令請印急キ順達留より可相返者也

  酉二月廿四日

     池田岩之丞
        御役所

   人相書(省略)


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「御触」(乱発生後)その1


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