Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.12.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


「浪花の狂刃 大塩中斎の事蹟」
その2

中山蕗峰

『文武仁侠大和錦』東洋興立教育会出版部 1917 所収

◇禁転載◇

一 知 遇(2)

管理人註
  

                         くゞ  与力といへば卑賤の役、奉行所の門を両刀手挟さんで潜ることは出来ぬ。 けれども平八郎は役の高下などは眼はくれず、与力の任務の決して軽から ぬものであることを知つて、兼て胸中に蓄へてゐた社会士風の改善を図る には、最も都合よき位置に自分があることを思うて、時の町奉行坂部能登   おの 守に己が意見を開陳し、町家の子弟にまで文武の道を奨励して、纔に三年 の間に一般の士風を改むることを得た。青二才何するものぞと人々から嘲 笑的に観られた平八郎が、意外の事績を挙げたので、是より彼の名は漸く 大阪市中に重んぜられ、後に東町奉行に任ぜられたる高井山城守は、平八 郎を信認すること最も深く、遂に之を抜擢して吟味役とし、盗賊追捕の事 つかさど を司らしむるのみならず、重要の市政には必ず参与せしめ、奉行の最高顧 問役として、刀を携へて、即ち士格を以て奉行の門を潜ることを得せしめ たので、平八郎は此の異数の抜擢に非常に感激し、其の熱腸赤誠を傾けて、 山城守の為には水火の中も辞せざるの覚悟を為した。太平の世にあつては、      しかばね さら 君の馬前に死骸を曝すことは出来ずとも、せめては世の中を改善して奉行           をの の成績を挙げ、かねて己が抱負経綸を行うて、之を以て山城守の知遇に報 いんと決心し、日夜心胆を砕いて善政を布くことに努めたので、山城守の       うち                  管下は見るが中に其の風を改め、従来賄賂私謁を以て撹き乱されたる積弊 は悉く除去せられて、是より山城守の名は益々揚り、平八郎の徳もますま す現はれて、誰しも与力平八郎を呼び捨てにするものなく、まして一般の 市民は大塩様、中斎様と、必ず様をつけて呼んだものである。




坂部能登守
大坂東町奉行
在籍の期間
寛政4.1.18〜
寛政7.6.28

幸田成友
『大塩平八郎』 
その14


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