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山城守が平八郎を吟味役に抜擢した最初の事、当時数年の時日を費して
あた
尚ほ決する能はざる一の難訴訟ありしかば、山城守、之を平八郎の主管に
移して、先づ其の小手調べを試みしめた。すると或る夜の事、平八郎を訪
れた不思議の客人が、実は其の訴訟事件に就て是非内密に御願致したき儀
ありと申入れたので、平八郎、要こそあれと引見して見ると、果して其の
男は重たき菓子折一個を出して、此の訴訟に是非勝たしてくれるやうと懇
願するのである。平八郎然もこそと心に頷きつゝ「では折角の好意、其の
折は受けておく、公儀は表沙汰、平八郎何分の取計を致すであらう」と快
こがね
く菓子折を受けたので、其の男は心もいそ/\、黄金に勝つ力はないと喜
あいて
び勇んで帰つて行つた。然るに豈計らん、翌日白洲へ出て敵手方と対決し
ゆうべ つか きくもん
て見ると、平八郎昨夜の遣ひ物は忘却れたかの如く、鞠問峻厳、曲を曲と
あま
し正を正として追窮余すところがない。其の男案に相違して、偖は敵手方
の遣ひ物が大きかりしか、然らば破れかぶれ、イザとならば昨夜の一件を
すつぱ
逆に素破ぬいて大塩に恥かゝせんと、尚も強く反抗して屈服せざりければ、
ね
平八郎ハツタと其の男を睨めつけ、「汝いかに抗弁するとも曲の汝にある
しつ
ことは証拠判然たり、今更何を以て鷺を烏と云ひ黒めんとはする。」と叱
しければ、其男「こは畏れながら証拠と申すは何事に候やらん、わが方正
かみ
しけれども、残念ながら証拠なきまゝに永年お上の御手を煩はしたる次第
に候。」といふ。平八郎「ナニ証拠なしといふか、然らば其の証拠を汝に
見せん。」と云ひつゝ、侍者に命じて昨夜の菓子折を持来らしめ「是にて
も未だ白々しう云ひ張ること出来るか。汝自ら曲あるを知ればこそ、斯様
くら
のものを用ゐて公儀の眼を眩まさんとするならずや。」と、其の折を男の
前に突きつけければ、其の男云ひ遁るゝ由なく遂に罪に服し、数年来決せ
じつ
ざりし難訴訟も、平八郎が手に一日にして決して了つた。平八郎裁判終つ
てから同僚に向ひ「方々は兎角菓子を好ませらるゝが故に訴訟も永びくと
ざんかん うるほ
見申したり。」と急所を突いたので、同役一同慚汗背を湿し、大に赤面し
て一言も云ふことが出来なかつた。山城守之より益々平八郎を重用し、政
のち あらそひ
務の細大を之れに諮らざることなく、後、和歌山藩と岸和田藩の境界争が
起つて、之れ亦曲は和歌山藩にあれど、紀伊は徳川の親藩なれば、誰一人
之に当つて其の正邪を断ずる者なく、遅帯数年に及んだ時、山城守は之を
も平八郎に裁断せしめしに、平八郎権貴を恐るゝことなく、理非を明快に
判断して岸和田藩の勝利に帰せしめたので、平八郎の名一時に挙り、管内
ひ
一の曲事なきに至りたれば、延いて山城守が東町奉行としての事績も当時
の模範となり、庶民其の施設を謳歌して限りなき喜びに満ちた。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その15
鞠問
罪を問いただす
こと
慚汗
恥じ入って汗が
出ること
幸田成友
『大塩平八郎』
その16
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