Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.12.9

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


「浪花の狂刃 大塩中斎の事蹟」
その3

中山蕗峰

『文武仁侠大和錦』東洋興立教育会出版部 1917 所収

◇禁転載◇

一 知 遇(3)

管理人註
  

 山城守が平八郎を吟味役に抜擢した最初の事、当時数年の時日を費して      あた 尚ほ決する能はざる一の難訴訟ありしかば、山城守、之を平八郎の主管に 移して、先づ其の小手調べを試みしめた。すると或る夜の事、平八郎を訪 れた不思議の客人が、実は其の訴訟事件に就て是非内密に御願致したき儀 ありと申入れたので、平八郎、要こそあれと引見して見ると、果して其の 男は重たき菓子折一個を出して、此の訴訟に是非勝たしてくれるやうと懇 願するのである。平八郎然もこそと心に頷きつゝ「では折角の好意、其の 折は受けておく、公儀は表沙汰、平八郎何分の取計を致すであらう」と快                       こがね く菓子折を受けたので、其の男は心もいそ/\、黄金に勝つ力はないと喜                           あいて び勇んで帰つて行つた。然るに豈計らん、翌日白洲へ出て敵手方と対決し         ゆうべ  つか            きくもん て見ると、平八郎昨夜の遣ひ物は忘却れたかの如く、鞠問峻厳、曲を曲と          あま し正を正として追窮余すところがない。其の男案に相違して、偖は敵手方 の遣ひ物が大きかりしか、然らば破れかぶれ、イザとならば昨夜の一件を   すつぱ 逆に素破ぬいて大塩に恥かゝせんと、尚も強く反抗して屈服せざりければ、             平八郎ハツタと其の男を睨めつけ、「汝いかに抗弁するとも曲の汝にある                                 しつ ことは証拠判然たり、今更何を以て鷺を烏と云ひ黒めんとはする。」と叱 しければ、其男「こは畏れながら証拠と申すは何事に候やらん、わが方正                      かみ しけれども、残念ながら証拠なきまゝに永年お上の御手を煩はしたる次第 に候。」といふ。平八郎「ナニ証拠なしといふか、然らば其の証拠を汝に 見せん。」と云ひつゝ、侍者に命じて昨夜の菓子折を持来らしめ「是にて も未だ白々しう云ひ張ること出来るか。汝自ら曲あるを知ればこそ、斯様             くら のものを用ゐて公儀の眼を眩まさんとするならずや。」と、其の折を男の 前に突きつけければ、其の男云ひ遁るゝ由なく遂に罪に服し、数年来決せ                じつ ざりし難訴訟も、平八郎が手に一日にして決して了つた。平八郎裁判終つ てから同僚に向ひ「方々は兎角菓子を好ませらるゝが故に訴訟も永びくと                      ざんかん   うるほ 見申したり。」と急所を突いたので、同役一同慚汗背を湿し、大に赤面し て一言も云ふことが出来なかつた。山城守之より益々平八郎を重用し、政                  のち             あらそひ 務の細大を之れに諮らざることなく、後、和歌山藩と岸和田藩の境界争が 起つて、之れ亦曲は和歌山藩にあれど、紀伊は徳川の親藩なれば、誰一人 之に当つて其の正邪を断ずる者なく、遅帯数年に及んだ時、山城守は之を も平八郎に裁断せしめしに、平八郎権貴を恐るゝことなく、理非を明快に 判断して岸和田藩の勝利に帰せしめたので、平八郎の名一時に挙り、管内               一の曲事なきに至りたれば、延いて山城守が東町奉行としての事績も当時 の模範となり、庶民其の施設を謳歌して限りなき喜びに満ちた。




幸田成友
『大塩平八郎』 
その15

















鞠問
罪を問いただす
こと
































慚汗
恥じ入って汗が
出ること



幸田成友
『大塩平八郎』 
その16


「浪花の狂刃 大塩中斎の事蹟」目次/その2/その4

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ