|
いのち
平八郎は忍ぶべからざるを忍んで幕吏の反省の時を期待した。生命にも
お あた
替へ難き五万巻の書を売つたのも、一つは目前の急を捨て措く能はざるが
為でもあつたが、また一つには之を以て上に立つ人を覚醒せしめんとの希
たゞ
望もあつたのである。されど幕吏は依然として頑冥不霊、啻に倉廩を開い
て救恤の道を講ぜざるのみならず、明年は将軍、職を世嗣に譲るべきに付、
国費一層多端なれば、江戸に回米して其の費用に充てざるべからずと、大
阪の倉庫を殆ど空虚と為すまでに、其の在米を舟に積んでドシ/\江戸に
おの
回漕した。飢ゑに飢ゑたる市民は、己が食を奪はるゝかの如くに、之を望
み見て怨磋の声を放つた。之を見たる平八郎は、憤激いふ所を知らず、蹶
ぼうれい ようちよう いたづら
然起つて庸吏の暴戻を膺懲せんかとも思ひしが、併し 徒 に暴力を以て之
そはい
に向つては、却つて鼠輩の反感を買ふに過ぎざればと、尚ほ飽くまでも忍
ま
んで時を俟つた。然るに茲に驚くべき大事実が暴露した。そは、幕吏啻に
大阪市中在米を江戸に送ることとした為に、由来山地にして運輸の便少き
京都市中には、大阪、江州等より来る米穀を阻止されて之を得るの道全然
れんこく もと
無く、恐れ多くも輦穀の下、餓 累々、遂に死者六万に達して惨絶形容の
辞すらなきに至つたことである。平八郎此の情報を耳にするや、彼は何の
いとま こぶし う け
意志を用ふる遑もなく、憤然起つて拳を以て空を摶ち、脚を以て空を蹴り、
やが おもて
果ては狂者の如く我が家の戸障子を打砕き、軅て手を以て面を掩うて、声
ひざまづ
を挙げて泣き乍ら地上に 跪 き、遥に京都の方を仰ぎつゝ浩嘆して云ふ
「あはれ天よ、天は斯くても幕吏の残忍と悪逆とを許し給ふや、幕府は常
あらは ないがしろ
に陽には皇室を尊崇すると見せ乍ら、陰には之を 蔑 にすること甚し。さ
れど今回の如きに至つては未だ前例の比すべきものあるを知らず、今や天
あた
下漸く多事ならんとする時に方つて、万一朝廷に異変の事どもあらば、京
都市中の人々こそ之を守護し参らすべきに、聞くが如く禁裏御膝元に餓死
者の山を築くやうにては、誰か能く其の責に当らんとするものぞ。憎みて
も憎み足らざるは幕府の処置。不忠とや云ふべき、悪逆とやいふべき。事
ねがは
最早此に至つては物の差別をを問ふまでもなし、仰ぎ冀くば天地神明、平
あはれ
八郎の心を憫み給うて我が為すところを許させ給へ。」
|
幸田成友
『大塩平八郎』
その101
暴戻
荒々しく、道理
に反する行いを
すること
膺懲
征伐してこらし
めること
鼠輩
つまらない連中
輦穀の下
天子のおひざも
と
浩嘆
大いになげくこ
と
|