Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.12.16

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「大塩の乱関係論文集」目次


「浪花の狂刃 大塩中斎の事蹟」
その8

中山蕗峰

『文武仁侠大和錦』東洋興立教育会出版部 1917 所収

◇禁転載◇

三 渦巻く煙(2)

管理人註
  

                   をは         たびてん  平八郎憤然として涙に暮れたるが、云ひ畢つてあまた度天を拝して心に                ひそか 深く誓ひ決するところあり、最も密に養子格之助、腹心庄司茂右衛門等を つど                    おほい 集へて密議数刻に及び、忽ち檄を四方に放つて大に同志を糾合すると共に、           おほづゝ 鉄砲、弾丸、石火矢、大砲、刀剣の類を買求めた。これ、非常の場合、非 常の手段を出づるより外に道なしとして、蹶然起つて幕吏を庸懲すると共 に、貪欲無慙の豪商等を襲うて其の財を略し、之を窮民に恵んで彼等の愁 眉を開かしめんとするのである。           たかひゝ            きふぜん       き か  平八郎一たび起つて戦を宣するや、摂河泉の同志翕然として其麾下に集     おの/\ り来り、各々血を啜つて盟主平八郎と死を共にせんことを誓うた。此の時 たまた 偶ま西町奉行交替の事あり、跡部山城守は新任奉行を率ゐて天満組屋敷を 巡見し、与力朝岡助之丞の邸に立寄つて休息するとの布令が出た。天保八               さいはひ 年二月十九日の事である。何の幸ぞ。朝岡が邸は平八郎の邸宅の向側であ る。平八郎此の布令を見て、好機逸すべからずとし、即ち同志を糾合して 準備を整へしめ、先づ両奉行を捕へ斬つて戦の血祭にせんと欲したのであ                            あた るが、悲しむべし、千里の堅堤、蟻の一穴より崩れて支ふる能はず、茲に 一味の同心平山助次郎なる者、急に臆病風に誘はれて節を変じ、平八郎の 陰謀を残るところなく奉行所に訴へ出でた。跡部山城守錯愕色を失ひ、其 の日の巡見を中止して一方変に備ふると共に、平八郎の伯父を呼出して平 八郎の不心得を諭し、伯父をして説かしめて平八郎を悔改自首せしめんと 欲したのであるが、平八郎断乎として之を斥け、一切の調停条件をも拒絶              こら した。今は暫く暴を以て暴を懲すより外に道はなく、たとへ己れ自首した りとて、それを以て幕吏の頑冥を打砕くことは出来ないと信じてゐたので    こゝ                   きた ある。此に於て山城守と平八郎の感情は益々疎隔し来つたが、此の時、摂、 河、泉、播等へ撒布したる同志糾合の檄文の事より、平八郎が大規模の一      はし 揆の計画が端なく山城守の耳に入り、こは一大事、寸刻も猶予すべきにあ らずと、事を大阪城代に告げて平八郎の裏を掻かんとした。併し平八郎も 然る者、斯くと見て突嗟の間に兵五百を集め、一歩機先を制して遂に乱を 発した。まことに間髪を容れざるものであつた。


幸田成友
『大塩平八郎』
その116

茂右衛門
儀左衛門







翕然
多くのものが
一つに集まり
合うさま

麾下
ある人の指揮
下にあること

新任奉行
堀伊賀守












錯愕
驚きあわてる
こと

平八郎の伯父
大西与五郎


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