|
をは たびてん
平八郎憤然として涙に暮れたるが、云ひ畢つてあまた度天を拝して心に
ひそか
深く誓ひ決するところあり、最も密に養子格之助、腹心庄司茂右衛門等を
つど おほい
集へて密議数刻に及び、忽ち檄を四方に放つて大に同志を糾合すると共に、
おほづゝ
鉄砲、弾丸、石火矢、大砲、刀剣の類を買求めた。これ、非常の場合、非
常の手段を出づるより外に道なしとして、蹶然起つて幕吏を庸懲すると共
に、貪欲無慙の豪商等を襲うて其の財を略し、之を窮民に恵んで彼等の愁
眉を開かしめんとするのである。
たかひゝ きふぜん き か
平八郎一たび起つて戦を宣するや、摂河泉の同志翕然として其麾下に集
おの/\
り来り、各々血を啜つて盟主平八郎と死を共にせんことを誓うた。此の時
たまた
偶ま西町奉行交替の事あり、跡部山城守は新任奉行を率ゐて天満組屋敷を
巡見し、与力朝岡助之丞の邸に立寄つて休息するとの布令が出た。天保八
さいはひ
年二月十九日の事である。何の幸ぞ。朝岡が邸は平八郎の邸宅の向側であ
る。平八郎此の布令を見て、好機逸すべからずとし、即ち同志を糾合して
準備を整へしめ、先づ両奉行を捕へ斬つて戦の血祭にせんと欲したのであ
あた
るが、悲しむべし、千里の堅堤、蟻の一穴より崩れて支ふる能はず、茲に
一味の同心平山助次郎なる者、急に臆病風に誘はれて節を変じ、平八郎の
陰謀を残るところなく奉行所に訴へ出でた。跡部山城守錯愕色を失ひ、其
の日の巡見を中止して一方変に備ふると共に、平八郎の伯父を呼出して平
八郎の不心得を諭し、伯父をして説かしめて平八郎を悔改自首せしめんと
欲したのであるが、平八郎断乎として之を斥け、一切の調停条件をも拒絶
こら
した。今は暫く暴を以て暴を懲すより外に道はなく、たとへ己れ自首した
りとて、それを以て幕吏の頑冥を打砕くことは出来ないと信じてゐたので
こゝ きた
ある。此に於て山城守と平八郎の感情は益々疎隔し来つたが、此の時、摂、
河、泉、播等へ撒布したる同志糾合の檄文の事より、平八郎が大規模の一
はし
揆の計画が端なく山城守の耳に入り、こは一大事、寸刻も猶予すべきにあ
らずと、事を大阪城代に告げて平八郎の裏を掻かんとした。併し平八郎も
さ
然る者、斯くと見て突嗟の間に兵五百を集め、一歩機先を制して遂に乱を
発した。まことに間髪を容れざるものであつた。
|
幸田成友
『大塩平八郎』
その116
茂右衛門
儀左衛門
翕然
多くのものが
一つに集まり
合うさま
麾下
ある人の指揮
下にあること
新任奉行
堀伊賀守
錯愕
驚きあわてる
こと
平八郎の伯父
大西与五郎
|