Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.12.17

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「大塩の乱関係論文集」目次


「浪花の狂刃 大塩中斎の事蹟」
その9

中山蕗峰

『文武仁侠大和錦』東洋興立教育会出版部 1917 所収

◇禁転載◇

三 渦巻く煙(3)

管理人註
  

        いでたち  平八郎其の日の扮装は、鍬形の兜を戴き、黒羅紗の陣羽織を著て自ら陣               よところ 頭に立ち、五百の兵を四分して四所より竝び進ましめ、予め作りおきたる 天照大神宮、八幡大菩薩の旗を各々押立てゝ先づ徳川家康の廟所建国寺に 至り、八百目の大砲を打ちかけて寺を破壊し、之を手初めとして附近の民                   あほ 家に火を放ちたれば、折からの北風之を煽つて、紅蓮の焔見る/\東西に ひろが                 とざ 拡り南に延び、天満橋の以南は黒雲天を鎖して日を仰ぐ能はず、老若逃げ 惑うて阿鼻叫喚の一大修羅場と化した。平八郎の兵は、一隊は此の間に船 場に至り、一隊は平野町に出で、豪商鴻池、三井、島村等の邸宅に闖入し、    いまし           こぼ 家人を警めて他へ散じたる後家を毀ち倉を開き、金穀を路上に撒布して窮                     たいかん うんげい 民の拾ふに任せた。窮民に取つては是れ実に大旱の雲霓、平八郎を神とも                           みだ 仏とも仰ぎ慕うたが、然はれ、大阪市中之が為に其の秩序を紊し、無辜の 小民亦家を焼かれ財を灰燼に帰して逃げ惑ひ泣き狂ひ、火勢の炎々たると 相俟つて惨憺の光景いふべき辞を知らず、斯かる所へ大阪城代土井大炊頭、 大兵を率ゐて出動すると共に、近国諸藩に命を伝へて援兵を募り、山城守 の兵を合して四方より平八郎を攻め立てたれば、さしも当るものなかりし 平八郎の兵も、衆寡敵せずして苦戦に陥り、淡路町二丁目に来りし頃には、         わづか           きぜん 五百の兵残るもの纔に八十に過ぎず、平八郎喟然として天を仰いで浩歎し、 諸兵に向つて云ふ「諸子、死を決して尚ほ戦はんとするも、今や城代多数      きた の兵を率ゐ来るに及んで、遂に衆寡敵する能はず、われ等毫も再生を望ま ずと雖も、斯くて跡部山城守が兵の手に罹りて死せんはいと口惜しければ、 乞ふ之より各々散じて時を忍び、機を俟つて再び起たん。」と。即ち衆を 予め散じ、己れは股肱数人と共に舟に乗つて其地を去り、天保山沖に出でゝ         ひそか 形勢を窺ひ、夜陰密に帰り来つて、阿波座堀油掛町の美吉屋五郎兵衛の隠 宅に潜伏せしが、幕吏遂に之を知つて美吉屋の家を囲み、平八郎を捕へん としたので、平八郎今は為すべき道も尽きたりと観念し、近寄り来る捕吏                    なげう を叱して其の間に自ら爆裂弾を家の中央に抛ちたれば、何かは以て堪るべ き、轟然として天地も崩れんばかりの音と共に、家は屋根を貫き柱を砕き、 猛火発して黒煙渦巻き、忽ち平八郎親子の体を呑み尽したのであるが、平 八郎、格之助は、其の黒煙の中に包まれ乍ら、伝来の宝刀を抜いて親子相                         とき 刺し、炎々たる火焔の中に自ら歿して相果てた。是れ時天保八年弥生二十 六日の事である。


幸田成友
『大塩平八郎』
その159













大旱の雲霓
日照り続きに待ち
望む、雨の前触れ
である雲や虹。
ひどく待ち焦がれ
ている物事のたと
え、
「孟子」梁恵王下
より
雲霓は雲と虹









喟然
ため息をつくさま

浩歎
大いになげくこと


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