Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.7.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その12

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

二六 そよとの風の便りも無い(2)

管理人註
  

                   お こ  『所が、失敗や過失は失念亡慮の極に発生るのだ。不結果だと思へば不                           まじなひ  結果は来ない、無効だと覚悟することは無効を免がれる禁厭になるもの  だ。何、墓が知れたつて何になるつて、そら無駄といへば我々が斯うし                         ど    こ       い  て生きてゐるのも無駄であるが、君は先程密教が何うの斯うのと曰つて                そう  たが、山河草木が不二曼荼羅の相と知らないのか、土に石で書いた易経  を見ないで、黄巻赤軸が何にならう。書物は人間を透した自然の写真に                           けうほう  過ぎない、仏教などゝ云ふものも、偉大なるヒマラヤの峰を象徴した  に過ぎない。大日覚王仏の懐ろに入るとは山に入ることだ、弥陀浄土と  は山上からの見晴しに過ぎない。山河は畢竟陰陽両界、風雲流水も不二                           やくわく ふく  梵音の響に他ならないのだ。禅門の宝典たる碧巌集も野鶴を啣んで碧巌     くだ   びやくゑんこ       せいしやう        れいしう  の前に降り、白猿児を抱いて青嶂の奥に還る豊州の叙景詩ぢやないが。                 うつばり    とばり  山は実に秘密荘厳殿である。風の梁、雲の帷、胸裡の硯に心の筆もて描              しん  く   い    さんぎ  いだ  き来る曼荼羅ではないか。身、口、意、の算木を抱いて万物の大玄門た                   しざん  る大虚阿字の中に入らうではないか。市山不二、猿人一体の密機を知ら  ずして真言も易もあるものかい。況んや仏教をや神道をやだ。』  『ですが五右衛門の持つてゐた忍術の奥義書には気の進まぬ時に身を隠     け し     す みせん  すと罌粟粒を須弥山に隠すことも難かしいとありますよ。』                            しほひ  『だから、それほど進まない気を進めると、蜆貝で大海を汐干して底に                沈んだ如意珠を拾ふことも能きるのだ、中斎先生の墓どころか、新しき  龍経を見出して潰れかかつた世界を一夜に改造することが出来るよ。』  『併し、私はそんな無駄は御免蒙るたいので…………』                                このまへ  『しかし無駄が無いと思ふ心ほど無駄な心はありやしないよ。君は以前                         何と曰つた「二十年間学校教育は受けましたが廃めて無駄であつた事が                                分りました」と曰つたのを忘れたかな。又何か非無駄な無駄を行つて居         あたら       そんな  ると見えるな。可惜一生を其麼に無駄にして了はずと、二日や三日、無                駄な非無駄に手伝つたつて可いぢやないか。』          こ と  『イヤ其の辺の消息は能く解してゐまするが、「捜す時に、物は見付か           おつしや  らないものだ」とも仰在つたぢやありませんか。』          あいて              たとひ  『それや或は捜す対者は見付からないかも知れぬ。縦令それにしても嘗                やが  て捜して見付からなかつたり、軅て捜さねばならなかつた物が見付かつ  たりもするものだ。兎に角、行かんが為に行けば可い、捜す為に捜せば                        あと  可い、学問をするにしても、学問の為の学問なら後で悔ゆる筈も無い筈  だが、他に何か功利的な目的を以てかゝるから後悔するのだ。親鸞の言  草ではないが無意義といふ意義ほど、真実な意義は無いからなあ………。                          「無益に働いて、そして無益に死ぬやうな宿命を有つてゐる」とラスキ          うた  ンが天才芸術家を謳つた真意も其処にあるのだ。「先師の霊骨猶存す」       ふ   い  と大原ノ孚は曰つたが墓どころか、僕は中斎其の人に会へると確信し断  言するね。若しも会へなかつたら此の剣を渡して置くから此剣で僕を突  殺すが可い。』  と、中斎先生の霊前に供へてあつた葵正宗の白鞘の短刀を渡してやると、       『イヤ爾う云ふ事でしたら是非お供をさせて頂きませう。しかし一寸帰                 さつき  りまして待つてゐる来客を帰して先刻お話致しました猟師や山男とも申           きつと  合せ近い内に更めて必度お誘ひに参りますから…………』              そうくわう  何故かY君は斯う云つて、栢ウとして、辞し去つたのであつた。  今日来るか、明日来るか、僕は正直に彼れの言葉を信じず、準備を整へ、                       ロクすつぼ外へも出ないで、待つて/\待ち貫いたが、大正辛酉の年もい                              ・・ よ/\大晦日と押詰まるまで、Y君は終に来て呉れないのみか、そよとの 風の便りも無く、手紙を出しても返辞すら来ない。

   
 


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