さあれ
遮莫、医王は毒草も薬と見、餓鬼の目には恒河の水も火に見えるとか、
ぶつ
僕の社会観とても、要するに内なる自己の倒影に他ならない。仏は猛火炎々
たる地獄に在つて悠然大安楽処に帰命せられるとか。僕は法界宮殿中、地
そんな ど
獄を搆へてゐるのであらう。「其麼に世が呪はしいなら自殺をしたら怎う
われわれ づ
か」と我吾を促すも、憤死は自己の極刑なるに気注いて躊躇する所以であ
る。而も況んや憎悪は愛の結晶なるをやである。世を呪ふ者は世を愛する
ものである。生の執着が甚しいからである。「自分の為にのみ出来た世界
では無い」と云ふのも世界が自己自身のもの、自己の縮図であるからだ。
自身の魂の全景であるからだ。斯く覚りては如何に厚顔無恥の僕と雖も、
しやくふく を
自己折伏、自己革清に狂はずに居られない。同じく社会の腐敗、人心の
堕落を忍ぶに堪へずして、遂に癇癪玉を爆発せしむるに至つた中斎も、
だい
固より自己弾劾、自己折伏の為であつた。小さき己れに死して大なる我
よみがへ あこが しば/\はんと
に復活らんが為であつた。彼が常に山を愛し山に憧憬れ、敷々攀登を試
りゆうじん そゝ
みて、所謂衣も千仭の高きに振ひ、脚を百尺の滝刃に濯いだのも。余り
まち まち
に市恋しく人懐かしさの余りであつた。暗に蔽はれた市の光明、罪悪の
いはを いな うが
巌の奥に輝く人生の美しさを掘り出さんが為、否、己れを穿ち己れを鍛
へる為であつた。否、己れを殺して蘇らんが為であつた。
|