Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.7.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その15

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

三〇 自己弾劾、自己折伏

管理人註
  

 さあれ  遮莫、医王は毒草も薬と見、餓鬼の目には恒河の水も火に見えるとか、                             ぶつ 僕の社会観とても、要するに内なる自己の倒影に他ならない。仏は猛火炎々 たる地獄に在つて悠然大安楽処に帰命せられるとか。僕は法界宮殿中、地               そんな                獄を搆へてゐるのであらう。「其麼に世が呪はしいなら自殺をしたら怎う    われわれ                  か」と我吾を促すも、憤死は自己の極刑なるに気注いて躊躇する所以であ る。而も況んや憎悪は愛の結晶なるをやである。世を呪ふ者は世を愛する ものである。生の執着が甚しいからである。「自分の為にのみ出来た世界 では無い」と云ふのも世界が自己自身のもの、自己の縮図であるからだ。 自身の魂の全景であるからだ。斯く覚りては如何に厚顔無恥の僕と雖も、   しやくふく          自己折伏、自己革清に狂はずに居られない。同じく社会の腐敗、人心の 堕落を忍ぶに堪へずして、遂に癇癪玉を爆発せしむるに至つた中斎も、                             だい 固より自己弾劾、自己折伏の為であつた。小さき己れに死して大なる我  よみがへ                   あこが    しば/\はんと に復活らんが為であつた。彼が常に山を愛し山に憧憬れ、敷々攀登を試                      りゆうじん そゝ みて、所謂衣も千仭の高きに振ひ、脚を百尺の滝刃に濯いだのも。余り  まち                      まち に市恋しく人懐かしさの余りであつた。暗に蔽はれた市の光明、罪悪の いはを                    いな       うが 巌の奥に輝く人生の美しさを掘り出さんが為、否、己れを穿ち己れを鍛 へる為であつた。否、己れを殺して蘇らんが為であつた。

   
 


『最後のマッチ』(抄)目次/その14/その16

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