Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.7.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その18

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

三四 蛇が火でも探して見せる

管理人註
  

 やが  軅て次の列車に投じて三田に出で、有馬支線に乗換へたが、汽車は生活                つゞれ          すた の縮図である。表か裏か分らない綴錦や刺子織の廃れて、表の美しい反比     きたな     ば や 例に裏の醜い刺繍流行りの風俗にも、人心の傾向が窺はれる。臀々相摩の                         いしころ 満員客は辞令にこそ長けてはゐるが、動く木材か物言ふ石塊かに思はれる のも不思議でない。それに新年を当込んだ避寒の客ばかりであるらしいの                           げいしやまつしや に驚かされた。而も間近に傲然と陣取つてゐる大部分は、芸妓末者に取捲            しよく          あたり かれて、金の威勢を満身飾に輝かし、酒気肉臭に四辺を払ひ、傍若無人に はしやいではゐるけれども、其処に却つて内部の不安と寂寥が語られてゐる          たま やうで、お気の毒で堪らなかつたが、そゞろに又一斎堕落の痛快味を覚え たのは我ながら皮肉であつた。併し、何々工場の徽章をつけた青服連や法                      ちゞか          い 被先生が御搭乗ならなつたのは、鳴りを静めて萎縮まることも要らない彼 等は不仕合せな幸福であつたであらうが、列車が転覆せなかつたので「俺   ど こ そ こ  だれそれ は何処其処の誰某ぢや、金は幾らでも遣るから助けて呉れ!」と泣き叫ぶ 鬼の悲鳴を聞き得なかつた僕等は、残念な仕合はせであつた。兎に角「栄                     や      けたゝま 吉!栄吉!救けて呉れ…………」といつた如うな、消魂しい悲鳴の聞えさ    け ち                         みすぼ うな吝嗇臭い安善至極な別邸も見当りさうも無い新道場と云ふ見窶らしい                      こ こ               わずか 小駅に降り佇つたのは、僕たゞ一人であつた。此駅からY君宅までは僅に            一七八丁、八多村とか名ふ山に囲まれた畑中の小在所である。        みちのり           も     とつぷ  多寡の知れた道程ではあるが、既う日は全り暮れた田舎道、聊か心細い 感じもしたが、去年の夏、三田からの帰り路に、Y君の案内で一度行つた ことがあるので、大抵分るだらうと、ボンヤリ考へて歩き出した。少し行        わか くと果して路が岐れて来た。     どちら        よ  『さて何方へ行つて可いものか。』                   けんがう  皆目見当がつかなくなつた。汽車中の喧騒擾に引換へて、太古の面影                 とばり の偲ばれる昔ながらの田舎道、闇の帷将に下らんとして、犬の子一匹通ら              ひと         うしろ     つ               かく なかつたのである。此時僕は他に導かれて背後から跟いて行くのは、目覆                             と き しをして歩くやうなものだと悟ると共に、一人岐路に迷ふた刹那には、却                                つて目を閉ぢて判断せねばならぬ事を思ふた。其処で人家に就いて質けば 分るやうなところでも、僕は瞑目して神霊の導きに任せたが、時には一度             らうしよう   みちばた  こやしろ 会つたことのある土手下の老松や、道傍の小祠、乃至小川のせゝらぎ、土     かわる 橋など、交々/゛\僕の行手を暗示して呉れたのは嬉しかつた。  ひごろ      い  平素人間と名ふものに食傷してゐる僕は、斯うした一時間ばかりの道中              せきれう             で に於て、久しぶりに真の孤独寂寥を楽しむことが能きたと共に、大阪を落                   ほか ち延びた中斎、少数生死を契つた門生の外、一世を挙げて敵と化した当時 の心事が偲ばれて、僕は一人闇中に熱涙を絞つたのである。限り無く俗人                        わだかま を誘惑して已まぬ大都の文明と其の繁栄も其の裏面に蟠る罪悪を知つては                                 もの 嘔吐を催すものもあるに引換へ、これは又如何に寂しき寒村の凋落よ、万 みな                           わうぼつ 象死に死んで空しきが如き極陰の自然には、却つて其の奥底に旺勃たる革 新の生気が潜んでゐることが痛感された時、闇路を辿る僕の心は矢張り新 しき年の希望に輝いてゐる。                                   大晦日の、而も夜陰の訪問は、殊の外Y君と其の一家を驚かしたのは論 ふまでも無      たゞすが          い。しかし菅に其の後の無沙汰を詫ぶるY君の慇懃さを見て、僕が中斎 に対する其の志を語れば、喜んで賛成して呉れると思ひきや。  『それや先生の事ですから、お伴はさせて頂きますが、随分の冒険です       きなふ                        よ。それに昨日から催してゐた雨がぼつ/\降つて来ましたよ。怎うせ                          ゆつくり  明日は降通すでせう。まあ正月の事でもありますし、悠然御逗留なさつ  て…………それに先生は少しお顔色がお悪いやうですが、お風邪を召し    ゐ ら  て被在つしやるぢやありませんか。』  『如何にも僕は風邪を引いて居る、それで猶更登山がしたいのだ。山気  へんじやく               どんな  扁鵲に勝ると云つてな、風邪に限らず怎麼病気でも山気に触れると癒る  ものぢや。』     さか     しき           み つ           さわ  Y君は賢し気に切りと僕の顔を凝視めてゐたが、一寸額に触つて見て、                       ひど  『おや!先生、どえらい熱ですよ…………此の酷い熱で如何して登山な  ど出来るものですか。お床をお延べ申しますから、兎に角お寝みなさつ  て…………』  『ナーニ此の熱が冷たい山気に会ふと、塩梅好く調節されて平熱に復す        と  かく         うち              あんない  るのだよ。右に右明日は暗い間から立ちたいから、蛇が火でも東道して  呉れ玉へ!』  『困りましたね、一旦言ひ出されたら後へは引かれぬ御気性ですから…  ………』

扁鵲
中国戦国時代の
伝説的な名医























 


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