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あく
翌れば今年の果の日である。定め無き世に定まつた大晦日である。切迫
けたゝ
詰つた生活の反響か、蹴畳ましい往来の足音が小刻みながら鋭く頭脳を刺
戟する。
謂ふまでも無く呪はれたる旧き年を送りて、敢て来らんとする新年の未
ど
知数に希望繋ぐことは、遣る瀬無き心の慰謝ではあるが、怎うして人並に
で
屏風の蔭に紋切型の御慶申して、これが浮世と済まし込んでゐることが能
ま
きやうか。況して元旦は来る年の縮図である。否、明日の元旦は厭でも我
ノ ヅ ニ
が後半世の模型たらしめねばならぬ。而も中斎が、「一身褞袍愧于天」
と痛嘆して年酒の杯を大地に叩き付け、
「(前略)城中には僭上を名とし、分限者より掠取られ候闕所金五万両、
軍用金として貯へ置かれ候筈、何卒其金を御出被下、又難波倉の貯蔵米
へんじ
をも不残御出被下て、片時も早く此目前の地獄より、数知れぬ瀕死の困
窮民を御救可被下候、後日江戸表より御咎も候へば、幾万人の命に代へ
ての御割腹芽出度儀に候云々」
くわ な かたまり
憂心凝つて墨と化し、鬱憤燃えて筆と化れる斯うした血涙の直状を、城
代に突出したと云ふのも、其前日の事であつたとか、或は今し時分かも知
そ れ なげう
れない。勿論、其状は彼が蔵書と共に身命を抛つの宣言であつた。若しも
だいざう
彼の鉄眼禅師が其の鉄脚を摺減らして折角纏めた大蔵開板資金を、二度ま
で飢民に施したのが、活きた蔵経の開板で、三度目には却つて死んだ蔵経
や
開板を行つたとするならば、中斎が瀕死の困窮民を救はん為に蔵書の一切
を米に代へたのは、死んだ読書を活きた読書たらしめたと云はねばならぬ。
こんな し はだか
斯麼ことを思うて我覚らず僕は裸体になつた。易を断てんとて水を浴びん
が為であつた。所が眼の前に易経が転がつてゐるではないか。見ると自分
そ れ ひろ ところ
が懐中にしてゐた其経が転かせり落ちたのであるが、披がつた箇所には聖
こ れ くわんくわく い たくふうくわ
人此経に依つて始めて棺槨を作ると伝ふ「沢風過」の卦ではないか。僕は
つるべ
「ハツ!!」と驚くや否や、井戸端に飛び下りて、続けざまに釣瓶から十
ようい
抔ばかりも水を浴び、予て準備の白バツチに白シヤツ、白足袋、白脚絆、
びやくえ ハン
白衣に黒の行者服、武庫有馬両郡の五万分地図と六甲山上図と、白紙、手
カチ マツチ をなは ナイフ
巾、耐風燐寸、蝋燭、苧縄、呼子、小刀、手帳、鉛筆其他を合羽に繰捲い
たすき かぶ かた
て襷にかけ、双眼鏡を腰に、菅笠を被り、金剛杖を振担げつゝ、大正辛酉
の断末魔、凍雲低く空に垂れて、雪を飛ばしさうなる夕まぐれ、落日光無
かんべう あはたゞ なにゆえ
うして寒空しく怒号する、云ひ知れない慌しさに、何故か却つて云ひ知
し む り
れない淋しさの身に泌みる都会を捨て、心は急ぐ六甲に夢裡猶忘るゝ能は
お おの
ざる懐かしき中斎の遺跡に浸るのか、其の幽魂の行方を趁うて、己が死所
を求めて行くのか否かはもとより、僕は何かに引付けられつゝあるか、自
おもむ し
己の心の命ずる儘に趨きつゝあるか、否かも覚らず、たゞ我れ吾を促し、
むちう むなぎたは
吾亦我を鞭ちつゝ正義の本末弱くして棟撓める大阪を、逃ぐるが如く梅田
に駈付けた。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その105
棺槨
遺体を納める箱
苧縄
麻糸をより合わ
せて作った縄
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