Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.7.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その19

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

三五 真の狂者(1)

管理人註
  

                             『イヤ考へて見ると、私が彼の日、先生をお訪ねしたのが、怎うも不思  議でなりません。病気して永らく御無沙汰してゐますし、易に続いて教  へて頂きたいと思ひますので、行かう/\とは思つてはゐたのですが、  うち                     かたら             い  家には来客もあつて一緒に芝居でも見に行かうと語合つてゐたのが、何                そ と  日に無い未明に眼が覚めたので戸外へ散歩に出ましたら、怎う云ふもの  か、フト先生の門を叩く気になつたのです。素より先生が中斎研究に御  熱心な事は承知してゐましたが、彼の猟師の話が、先生の御血管に消す       ことの能きない猛火と化つて燃え上らうとは夢にも想ひかけませんでし  た。』  『ナーニ莫迦々々しい。』  『と、一笑に附せられると思つてましたのに…………「これから一緒に  墓探しに出掛けやう!」と来られましたからねえ、驚きましたよ。それ  に実は昨夜お目にかゝつた時も、「先生は発狂なさつたのだ、それに違  ひない!」と内々家内とも話して、実は心配してゐたのですが、しかし         今朝お話を承いてゐる間に、能く先生の御志の程が分りました。それで            たふ  もう私は先生と一緒に斃れても、是非お伴をして、中斎先生の墓を探り        当てねば已まぬと云ふ覚悟を決めました。だがまた考へて見ますると、  怎うも自分ながら可笑しいですね。村の者みんな屠蘇機嫌で、若い女と                         ふ ざ け  歌留多を取つたり、手を取つたり、面白可笑しく巫山戯散らかす元日に、  縁起でもない、墓探しに出かけるなんて、ヒヨツとしたら、私も先生に  かぶれてチト気が変になつてゐるのかも知れませんね。』                      うち         こひねがは  『自分で発狂してゐやしないかと気付かれる間は大丈夫だよ、しかし希                   どうぞ  くはだ、それが気遣はれなくなる程、何卒気が狂つて貰ひたいものだな。』              わ け  『そりや先生!怎う云ふ理由です?』                  『怎う云ふ理由つて君!監獄に打ち込まれる者は多寡の知れた罪人ばか                              やう  りで、極重正真の大罪人は、石門鉄扉、高塀忍び返しと云つた如な、豪                 なづ  荘華麗な自業自得の、高楼大廈と名くる牢獄の奥深く、我と吾手にフン                      はなびら  縛られてゐるぢやないか。中には勲章と云ふ花片を飾つて、地上の飛行               ひと    しき             おつ  機気取りで自動車を飛ばし、他の子を轢殺して忽ち天上から墜こちた思  ひに戦慄する無邪気なのもある。兎に角、癲狂院の中には一人だつて本  当の狂人はゐやしない。六甲山に隠れた入江三郎も、五寸釘の寅吉も、       しやうきやく           きちがい  山霊が永く正客として許す程の狂人でも悪人でも無かつたのだ。肉の美                     くふう          ささい  と目に見えぬ一切を永遠に我が所有とする久富の為に、目に見おる些少  の財産と二人の愛妻を棄てゝ森林に入つた印度のヤーヂユ・ニヤーワル                            よ そ  キや、満足の悲哀に堪へずして、父の嘆き妻子の悲嘆を他所に見ても現                   か  だんとくせん          シクタルダ  実的の頂点から理想の王国目掛けて彼の檀特山に駆け込んだ悉達多、群  雄争覇の真最中に、乾坤二徳の擬人化たる堯舜を引担いで、礼楽の算木                 おさ  を振舞し、筆剣舌鋒に死後猶人を圧へ付けた尼丘山下の横道漢、ヘルモ                    ねたば          ヂンデア  ン山から駆け出して地の果てまでも貧の嫉刃に脅かした猶太の大色魔、       むちう       たなび                  それら  彼の青牛に鞭つて紫雲靉靆く凾谷関の山奥に、姿を隠した唐変朴、夫等  を仏ぢや、聖者ぢや、神の子ぢや、大哲人ぢやと担ぎ廻る不狂人は、却    きやつら  つて彼奴等が正真正銘の狂人であつたことを知らぬのぢや。駄算細算、  ・・・・  そろばんづく、目先鼻先の小智慧、小悧巧な人間ばかりで、余りとして  も狂味の欠けた今の世に、ちつとやそつと本狂人が出来無けりや、二日     と生存きたら飽きるぢやないか。』

入江三郎
大正6年、
脱獄

五寸釘の寅吉
西川 寅吉
1854-1941
脱獄魔として
知られる





























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