Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.7.25

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その20

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

三五 真の狂者(2)

管理人註
  

                 『そら「此世は牢屋であると気注いた者のみ周囲を見る」とか「天才は きちがひ  狂である。精神的畸形児である。彼等にして若しも精神が正形であり、              ひと  気が狂は無かつたら、単に他を迷惑がらせて死んだ筈だ」と古人も謂つ                  て居りますが、中斎とても勿論爾うした意味の狂人であつたのでせうね。  若しも中斎の墓が六甲山中に在つたとすればば、正に先生の所謂山霊の しやうきやく  正客となつたもので、大正の狂中斎播陽先生、亦山霊の歓迎する所とな       かう  つて、此の行、再び生きて還ることが能きぬかも知れませんな。や!飛              か            さ き       は ゝ  んでもない瞑途のお供、斯うと知つたら前途の短い老母にも、それとな   わかれ                 これまで  く訣別を告げて来ればよかつたのに…………従来の不孝の罪が悔まれま  す。』    ま   と し               おこ  『未だ年齢の若い君にそれだけ懺悔の念が生つたゞけでも、此の度の行                      けつきやう           いまどき  は決して無意味ではないと云ふものだ。幾ら欠狂時代とは云へ、現代の  若い者、殊に君達の如うな文化虫…………』        おつしや  『純で無いと仰在るのでせう?』                    ぢよしんだんぴ           『何も無いと云ふんだ。何かあれば幾ら女神男婢の世の中とは云へ「自                                 分は若い!」といふことばかりをプライドとはしなからう。如何に淫画   おんがく  も て                 こはいろ  と肉楽が歓迎るからつて美しく化けこんで美し気な仮声をして男の如う                  う               やつ  な女や女の如うな男の安価な喝采得る事のみに憂身を窶し、実力を養ふ                      アナクロニズム  とか、真剣に行ることが莫迦らしく思へたり、時代錯誤ででもあるかの          如うな考へは有たなからうよ。』  『併し、「罪と罰」のラスコリニコフぢやありませんが、考へることは    為ることですよ、力ですよ。』       ・・・・   ・・・・  『そら生存して居るのも、して居るのだらうが、文化虫の定義なるもの  は成丈柔かい衣服を着て、成丈美しい家に住み、成丈うまい物を食つて、  なるだけ美しい物を見、なるだけ美しい声を聞き、書物は気の利いた言            あじはひ たしな             えら  葉を覚える為に読んで内容を嗜むべからず、世には自分より豪い者は無  いと心得て、デレつとして怪我にも「若い女の嫌ふやうな事をしない者」           じようだん  との事ぢやないか。戯言ぢやないよ。終日器械にならねばならぬ労働者  が、器械から離れて人間に立帰へると、俄然反動を起して猛烈に肉を求     あこがれ        かど               ひね  め肉に憧憬るのは無理からぬ廉もあるが、ハンマーの代りに筆を捻繰り、  つるはし             いしばい  鶴嘴の代りに屁理屈を振舞はし、石灰の代りに白粉の臭ひを嗅いでゐる                人間は、黙つて禁欲生活を行ることがせめてもの社会奉仕と云ふものだ。  又それが本当の力と云ふものだ。君の云ふ力とは、女を陥れ女を喜ばせ  る力かも知れないが、黙つて働き得る力、己れを観る力、男を泣かせる  力ではなさゝうだね。』  『併し、同じ文化虫でもいろ/\ありますよ。』                           えかき  『ナーニ、創作家の目には材料が見えて人間が見えず、絵家にはモデル  があつて女が無い。僧侶は何を見ても僧侶に見える。教師は一切が教師  に聞える。学者が何万何億あらうとも、どれもこれも伝統の網にブチ込        くさり   つな            ひろ  まれ、因襲の鉄鎖に繋がれて、徒に歴史の頁を繰披げるものばかりだよ。  ウエートレスや文句仲間でも、一人を見れば皆分るさ。汽車電車の車掌        いづ        う ろ  ぢやないが、何れも同じ軌道を迂路ついてゐるぢやないか。元来人間は        しや  実行家と売名狂の二種類があつて、文化虫は後者に属する。それに昔は  家長以外に苗字を呼ばなかつたが、インヂビヂユアリズムの全盛期たる  今日は子供でも女でも苗字を呼んでゐるが、其の癖ビール瓶や妻楊子同    どいつ   こいつ           な  様、何奴も此奴も同じものに化つて了ふのだから、囚人見た如うに名前                            を番号に改める方が幾ら便利か知れやしない。まあ、爾うした夢の花が                  うはごと  幻滅の実を結ぶ木蔭で、自己催眠の囈語を囀り、天王寺の亀や、動物園                      あ ち ら         こ ち ら  の猿の如うに、パン屑を見せびらかされて彼主義へ泳ぎ、此思想に飛ん   おもちや          い                 かま  で玩具にされたりしてゐると可いさ。経済生活の八釜しい時代に、無駄  に徹してゐるのも珍重に値するからね。』

   


『最後のマッチ』(抄)目次/その19/その21

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