Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.6.23

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その2

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

二 深黒なる大光明

管理人註
  

 僕が大塩中斎に対する敬慕渇仰の熱情は、彼れの出生と出身と、行蹟と         さ ぐ                 つく 哲学と心事とを探索らんが為に、殆ど半生の心血と私財を竭さしめて猶足                        よこた       くちづ らず、いかでか彼れの死所を確め、真に其の聖骸の横るの地に接吻けて、              ちう/\   いや 聊か人生社会に対する憂心の々を、医さんと志ざしむるに至つたのであ る。   じつ                    一日、閑斎に静坐し、香をき華を献げ、経を諷して彼れの霊に奠じ、         しばらく  たちまち          イリユージヨン 瞑想黙念すること少時、忽焉にして一場の 幻象 が眼前に展開したるこそ          べうばう          くわう/\ 不思議なれ。只見る渺茫として際涯無き一大洋、煌々たる天日に照らされ     さんらん                       たうしよ て、海波燦爛、目を眩ぜしむるばかりなるよと思ふ間に、小さき嶋嶼の如                    うか きものが、辛うじて視線の及ぶ地平線上に泛び出た。其の嶋影が見る/\ ちかづ 近接ちて、眼前に明瞭たるを諦視すれば、正に是れ一箇の丘嶽、曾て何処                 さき             ふもと かで見たことのあるらしいそれで、曩の海は既に全く消え失せて、麓には                        ざつき 一面の人家がある。麓から中腹にかけて大小の樹木雑卉が茂つてゐる。其  かん    けだもの               あ ち こ ち   さ ま の間には、獣に似て尾のある人々の、三々五々彼方此方に彷徨うてゐるの                やま         とつこつ が、蟻の如うに小さく見える。然し嶽の頂に近きところ、突兀として禿げ、    はんと                    そゞ 容易に攀登し難く見ゆると共に、何とも云へぬ威容が坐ろに僕の心を圧し た。『あゝ霊山よ!』と、覚えず讃嘆を禁じ得なかつた。僕の眼の見ると      さなが        れいろう ころ、嶽は宛ら水晶の如く透徹玲瓏として、内部の蔵蓄がアリ/\と見え るのであつた。初めの程はたゞ黒闇の煙状のもの、ムクムクと動揺いでゐ                            は り   しゞこ  しやく るのみであつたが、間も無く其の輪廓には、金銀、瑠璃、玻璃、、赤 じゆ  めなう         あらゆるほうじやく 球、瑪瑙と云つた、諸有宝石の輝きのあることが見出された。煙状のもの                ゆらめ は中心から湧き出すやうに絶えず動揺いて、其の度に輪廓の線は随つて伸  ちちやう                            りくり 縮弛張してゐるが、いよいよ出でゝ、いよ/\美しき宝石の光彩は、陸離                     ちかづ      てうみつてきこくあん として目を射るのである。其処で僕は中心に近接く程、稠密的黒暗と見ゆ る其の煙状のものが、実は全体に光明であつて、其の光明が僕の眼に認め るには、余りに強烈な為に、却つて黒暗に見えるのであることを覚つた。   まばゆ              僕は目眩きばかりな輪廓の美には目も与れず、一生懸命に其の煙状の中心、            こくあん/\  ところ 光彩を湧き出す本源たる黒闇々の箇所を凝視してゐると、果せるかな、其 処に人の子の如き形像がある。曾て全身を仏に供養して猛火に焼きし薬王 菩薩の如く、又死より甦つた者に似てゐる。多分仏教信者には黒仏と拝ま れ、クリスチヤンには復活の主と仰がるゝものらしいその人の姿が、僕の    まさ                          またゝ 目には正しく霊化せる大塩中斎と映じたのである。僕は驚喜しつゝ瞬きも         ぎよがん                    じやう せず、その懐しき御顔を仰いでゐると、その姿は次第に拡大されて丈六の たいしん  な             だい              やま 大身と化り、奈良の大仏大となり、いよ/\膨張して遂に嶽一抔に拡がつ    おも                        つゝ たかと惟ふと、嶽は忽ち元の凝性に復して、再び内部の荘厳を裏み、而も       ぎ ゞ 依然として巍々たる其の威容を名残に、漸く其の影を薄め朦朧として遂に 消え去つたのである。                   イリユージヨン       かへ  僕が夢から覚めたるものゝ如く、此の 幻像 から我に復つたが、その印 象が余りに明晰であつて、而も意味あり気なので、即座の直感は、六甲山                              せきじ 中に中斎の墓があると云ふ其の霊告であると判断したのである。昔時、西                          じうん 行上人を慕ふこと、孤児の慈親に於けるが如くであつた似雲法師は、西行           やつ のそれと同じ姿に身を扮し、東西に行脚してその終焉の地を探し廻つたが、                              くにひろ 一日石山寺に参籠して、一心に祈願を籠めし其の夜、夢に河内の国弘川寺                                い  ふる 辺の光景を見、覚めて直ちに馳せ行き、見事上人の墓を発見したと伝ふ故 ごと            まこと              ひら 事もある。一心の誠は宇宙人生の如何なる幽微をも闡き、専念の祈願は能        もた             たぐゐまれ く神明の感応を齎らす。斯うした事例は古今に類稀ならぬところである。 兎に角斯うした幻像を見たことが、僕をして六甲山に中斎の墓を探らしむ るに至つた直接の動機である。されば斯の神霊的感応の事理を解せざる不          おこなひ          ノンセンス 信の輩は、僕の此の 行 を以て狂人的愚挙と嘲るであらうが、先賢を追慕 かつかう                     渇仰して日夜に忘るゝ能はざる僕としては、実に已むに已まれぬものがあ つたのである。



















































陸離
光が入り乱れて
美しくかがやく
さま








































似雲
1673-1753
江戸時代中期
の浄土真宗の
僧・歌人
 


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