|
イリユージヨン
僕が六甲山に中斎の墓を探るに至つた直接の動機は、前記の 幻像 であ
いな かゝ
るが、間接の動機、否、寧ろ斯る幻像を見るに至つた二三の遠因が無いで
も無い。それは中斎と山嶽、山嶽と易理、殊に六甲山と中斎との関係に就
きての愚見である。
い はじめ をはり
説ふまでも無く山は自然の始にして又終である。而も人は山より出でゝ
山に還る。山は人間生活の母体たると共に文化の光点であり、信仰の基調
である。若しも『自由は独逸の森林より出づ』と云ふ欧洲文明史の格言が
ヂユデヤ ア ラ ビ ヤ
真理であるならば、支那学の神髄たるは勿論、印度、猶太、阿列比亜の信
エヂプト ギリシヤ ローマ
仰は愚か、アツシリヤ、バビロリアは勿論、埃及、希臘、羅馬其の他の文
だい とこし
化にまで大なる影響を及ぼした易の深奥なる哲理は、所謂永へに龍蛇を幽
しんざんたいたく え き
棲せしむる深山大沢に得来つたものであらねばならぬ。否、地上最も天に
しょせい ネ テ メ ト い つ
高き山中の所生でなからうか。されば「原始要終以為質」と古人も繋辞
てゐる。周易以前、夏殷の易に連山、帰蔵の名を存し、各地の神話伝説は
あらゆる と
勿論、所有経典が山上の所談に饒めるも偶然でない。
人類救済の福音は必ず山より響き、天啓神慮も必ず山に降る。見よ、モー
おきて う おもひ
ゼが律法を神に享けたのも、シナイの山であり、クリストも山中に想を纏
おしへ
めて山上に訓を垂れた、ポーロもアレオ山中に神を説き、マホメツトの信
さんり もたら こくしん
仰亦、メツカ山裡の齎す所ではないか。谷神に憧れた老子は固より山岳の
がんし ちうじ とうざん
謳歌者であり、母、顔氏が山に祈つて生れた仲尼亦、東山に登つて魯を小
なりとし、泰山に登つて天下を小なりとした。ツアーラツストーラは山よ
くだ じやうだう
り降つて堕落したが、釈迦も山に入らざりせば成道し得なかつたであらう
とこし
と思はれる。而も釈迦が山を出で老子が山に帰つたのは、永へに山の始終
ごんゐ
を語るものではなからうか。支那や印度の革命家が東北即艮位より起るを
オーストリー ポーランド
常とし、欧洲戦争から独逸の頓挫、墺地利の没落、露国の革命、波蘭の再
建以来、世界統一の大英雄の蒙古より出づると云ふのも、蒙古は大山脈に
うずま ヨマンヨリハ ヲ ルニ ヲ
渦捲かれた高原なるが為である。『読一部華厳経不如看一艮卦』と
りようが しゆりようごん こんくわ
宋儒は謂つたが、華厳、楞伽、首楞厳の三経、もとこれ一艮卦の解説であ
しんくわ いだ ごくわ ふうたくちうふ
つて、艮卦の震卦を互き、互卦風沢中孚と表裏し順逆せるは天地一生、神
こ と
人同機たる秘義を示せるもの、山は神の宝体であり山霊即ち神霊であつて、
すべ
『何も持たざるに似たれども、凡てのものを持てり、万物は彼より出で彼
よ
に倚り彼に帰すればなり。我は彼に由りて生き又動き又存する事を得るな
り』と古哲の叫んだ神に対する讃言は、取りも直さず山の讃美歌である。
あらゆる
諸有宗教が悉く亜細亜に胚胎したのも、亜細亜は其儘にして山岳たるから
である。近代文明の淵源たる欧洲亦亜細亜の一端ではあるが、要するに半
嶋国で、平地の高さ、亜細亜の三分ノ一に過ぎぬと云ふではないか。支那
はじ うんじやう
大陸の発展も西北山地に首まり、印度古代の哲学の五山城裡に醸され、
ギリシヤ はぐゝ
希臘人の信仰のオリンポス山上に其の根を育み、古今のエポツクメーカー
は何れも山中修業の効果を齎せるに過ぎない。アルプスの欧洲文化に及ぼ
スヰツツル
せる影響、山に囲まれた山国たる瑞西が世界文化の策源地であり、世界改
み
造の陰謀地たるに徴ても、如何に山岳の創造神たるかゞ分るであらう。ス
い
カンヂナビヤの山上が人類発生の根本地とも伝ふでは無いか。我国の文化
くしふるみね やまと
と其の発祥も、日向の奇霊峰より発し、大和は山跡であり、大和魂は山跡
たましひ しゆんしゆく
玉石火であると云ふのも、樺太山系と崑崙山系の隆起した火山脈と皴縮脈
な ら
の錯綜せるに帰因する。孤島的日本の大陸化を語る寧楽朝の文化と雖も、
所謂大和三山、殊に大和アルプスに負ふ所甚だ多い。日本文化史上の黄金
い
時代たる平安期の文化に至つては、南山北嶺の山化作用と称はねばならぬ。
はこね
冨士と筑波と函嶺と江戸との関係。金剛、葛城、志貴、六甲が大阪に与へ
のが で
た感化も亦見遁すことは能きない。
|
『自由は独逸の・・・』
モンテスキュー
の『法の精神』の
中にあることば
「深山大沢龍蛇を
生ず」
『春秋左氏伝』
出てくる句
所生
生み出したと
ころ
仲尼
孔子の字
ツアーラツストーラ
ツァラツストラ
ゾロアスター教の
創始者
醸
心の中で,ある思い
が徐々に大きくなっ
てくること
志貴
信貴山
|