Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.6.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その3

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

三 大塩中斎と六甲山 (1)

管理人註
  

                            イリユージヨン  僕が六甲山に中斎の墓を探るに至つた直接の動機は、前記の 幻像 であ          いな     かゝ るが、間接の動機、否、寧ろ斯る幻像を見るに至つた二三の遠因が無いで も無い。それは中斎と山嶽、山嶽と易理、殊に六甲山と中斎との関係に就 きての愚見である。             はじめ      をはり  説ふまでも無く山は自然の始にして又終である。而も人は山より出でゝ 山に還る。山は人間生活の母体たると共に文化の光点であり、信仰の基調 である。若しも『自由は独逸の森林より出づ』と云ふ欧洲文明史の格言が                         ヂユデヤ  ア ラ ビ ヤ 真理であるならば、支那学の神髄たるは勿論、印度、猶太、阿列比亜の信                     エヂプト  ギリシヤ  ローマ 仰は愚か、アツシリヤ、バビロリアは勿論、埃及、希臘、羅馬其の他の文     だい                     とこし 化にまで大なる影響を及ぼした易の深奥なる哲理は、所謂永へに龍蛇を幽      しんざんたいたく  え き 棲せしむる深山大沢に得来つたものであらねばならぬ。否、地上最も天に      しょせい            ネ テ メ        ト          い つ 高き山中の所生でなからうか。されば「原始要終以為質」と古人も繋辞 てゐる。周易以前、夏殷の易に連山、帰蔵の名を存し、各地の神話伝説は    あらゆる          勿論、所有経典が山上の所談に饒めるも偶然でない。  人類救済の福音は必ず山より響き、天啓神慮も必ず山に降る。見よ、モー   おきて       う                      おもひ ゼが律法を神に享けたのも、シナイの山であり、クリストも山中に想を纏      おしへ めて山上に訓を垂れた、ポーロもアレオ山中に神を説き、マホメツトの信       さんり  もたら              こくしん 仰亦、メツカ山裡の齎す所ではないか。谷神に憧れた老子は固より山岳の          がんし                 ちうじ    とうざん 謳歌者であり、母、顔氏が山に祈つて生れた仲尼亦、東山に登つて魯を小 なりとし、泰山に登つて天下を小なりとした。ツアーラツストーラは山よ  くだ                   じやうだう り降つて堕落したが、釈迦も山に入らざりせば成道し得なかつたであらう                           とこし と思はれる。而も釈迦が山を出で老子が山に帰つたのは、永へに山の始終                           ごんゐ を語るものではなからうか。支那や印度の革命家が東北即艮位より起るを                 オーストリー                 ポーランド 常とし、欧洲戦争から独逸の頓挫、墺地利の没落、露国の革命、波蘭の再 建以来、世界統一の大英雄の蒙古より出づると云ふのも、蒙古は大山脈に うずま              ヨマンヨリハ      ヲ       ルニ     ヲ 渦捲かれた高原なるが為である。『読一部華厳経一艮卦』と            りようが しゆりようごん               こんくわ 宋儒は謂つたが、華厳、楞伽、首楞厳の三経、もとこれ一艮卦の解説であ       しんくわ いだ    ごくわ ふうたくちうふ つて、艮卦の震卦を互き、互卦風沢中孚と表裏し順逆せるは天地一生、神       こ と 人同機たる秘義を示せるもの、山は神の宝体であり山霊即ち神霊であつて、               すべ 『何も持たざるに似たれども、凡てのものを持てり、万物は彼より出で彼   に倚り彼に帰すればなり。我は彼に由りて生き又動き又存する事を得るな り』と古哲の叫んだ神に対する讃言は、取りも直さず山の讃美歌である。 あらゆる 諸有宗教が悉く亜細亜に胚胎したのも、亜細亜は其儘にして山岳たるから である。近代文明の淵源たる欧洲亦亜細亜の一端ではあるが、要するに半 嶋国で、平地の高さ、亜細亜の三分ノ一に過ぎぬと云ふではないか。支那            はじ                うんじやう 大陸の発展も西北山地に首まり、印度古代の哲学の五山城裡に醸され、 ギリシヤ                 はぐゝ 希臘人の信仰のオリンポス山上に其の根を育み、古今のエポツクメーカー は何れも山中修業の効果を齎せるに過ぎない。アルプスの欧洲文化に及ぼ                スヰツツル せる影響、山に囲まれた山国たる瑞西が世界文化の策源地であり、世界改          造の陰謀地たるに徴ても、如何に山岳の創造神たるかゞ分るであらう。ス                      カンヂナビヤの山上が人類発生の根本地とも伝ふでは無いか。我国の文化           くしふるみね        やまと と其の発祥も、日向の奇霊峰より発し、大和は山跡であり、大和魂は山跡 たましひ                            しゆんしゆく 玉石火であると云ふのも、樺太山系と崑崙山系の隆起した火山脈と皴縮脈                         な ら の錯綜せるに帰因する。孤島的日本の大陸化を語る寧楽朝の文化と雖も、 所謂大和三山、殊に大和アルプスに負ふ所甚だ多い。日本文化史上の黄金                            時代たる平安期の文化に至つては、南山北嶺の山化作用と称はねばならぬ。       はこね 冨士と筑波と函嶺と江戸との関係。金剛、葛城、志貴、六甲が大阪に与へ       のが        で た感化も亦見遁すことは能きない。














『自由は独逸の・・・』
モンテスキュー
の『法の精神』の
中にあることば





「深山大沢龍蛇を
生ず」
『春秋左氏伝』
出てくる句

所生
生み出したと
ころ












仲尼
孔子の字


ツアーラツストーラ
ツァラツストラ
ゾロアスター教の
創始者
































心の中で,ある思い
が徐々に大きくなっ
てくること























志貴
信貴山


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