Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.7.26

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その21

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

三五 真の狂者(3)

管理人註
  

     としごろもの  せうせいねん  も  『我々の中青年が少青年の有つた美しい感情や溌剌たる心持が分らない                  あたま  やうに、先生のやうな初老を過ぎた頭脳のかたまつて了つた方には、失  礼ながら我々の心持はお分りになりませうかね。』                             しやうちゆうねん  『併し、今は青老年や中老年ばかりで、本青年も無ければ、正中年も余                     し ろ もの                かは  り見当らないぢやないか、殊に文化畑の青中年と来たら、生乾きに干い                            てふねん  て了つてゐるから、青年では無く細年だ、中年では無く、凋年ぢやない  か。』               もたら  『といつて、科学万能時代の齎す当然の結果ですから、仕方がありませ                                い れ  んよ。ナンセ一切の物を外形の類似によつて、一のカテゴリーに編入て  了はれるのですから。』                  『だから君も生涯学校に居れば可かつたのだ。教会の教理は会内だけに  しきや役には立たぬし、寺院の信仰は寺外では用を為さず、学校で覚え  た学式は校内だけしか通用しないからね。』  『学式とは何ですか?』  『式しか学ばないから学式ぢやないかね。はゝゝゝ』                    おしひ  『イヤ実際学校教師は教へるのでは無く圧強るのですし、生徒は学ぶの       ま ね  では無く真似ぶのですからね。』                みゝず   ひなた  『だから学生が学校を出るのは蚯蚓が日南に出るよりも危いのだ。霧嶋   しんもと       にやくわうじ ほそもと           のどもと  の新本教とか、若王寺の細本教とか葺合の喉本教とか、それ等を一纏め         あやべ   らんこんきま  に締め括る所謂危部の乱魂帰魔教などの、漁名者、釣財人の餌にせられ  る位が関の山だからなあ。』  『でも健康な人間には黴菌も歯に合はんさうですから、御安心を願ひま  す。殊に私共は有形か無形、手ツ取早く言へば物質か智識乃至新しい言                      あひて  葉の一つでも与へて呉れない人には、テンで対者になりませんからね。』      かね         たて  『つまり金にならねば竪のものを竪にもしない、況んや横になぞする物  かといつた風で、人さへ見たら利用ならぬ害用悪用をたくらみ、日夕推      なにか  参して、何彼と厄介になつてゐた恩人でも、奪ふものさへ奪つて了つた                     あひて  けな  ら、否、奪つたことが多ければ多いだけ、対者を貶しつけることを以て、  自己の欠点がかくせるものと愚信して、心ならずも、恩義に反比例して      むく  仇を以て酬ゆるやうな好人物…………』  『先生!一寸御待ち下さい。恩に酬ゆるに仇を以てするのが何故好人物  です?。』  『そりやY君!仇に酬ゆるに仇を以てするほどの痛快さを知らないから  だ。だがしかし淫愛を讃美し金銭を渇仰するの余り、恩人を売り兄弟を  売り両親すら売り飛ばす爾うした好人物仲間の君に、人間らしい愚痴の  こはいろ               で                  まづ  仮声でもつかふことが能きたのは、元旦早々、先以てお芽出度うと祝さ  ねばならぬ次第かな。はゝゝゝ』  『イヤ先生!明けましてお芽出度う存じます。ホンに今朝から六甲……  ………中斎…………六甲で話が持切り、年頭の御挨拶を申上げることも  忘れてゐましたね。』            はなし                ふたり ・・  道行きながら語り合ふ談話が、こゝまで進んだ時、何時しか僕Yはあん ・・          のこと名ふ雑木山の頂上に佇つてゐた。    よ  あした  恰も好し朝の太陽は、綺羅美やかに東方の天、重畳たる雲間も漏れて、 見渡す西摂一面の野山を照し、大阪一帯の空、今日ばかりは流石に煤煙の 影も無い。

   
 


『最後のマッチ』(抄)目次/その20/その22

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ