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『ぢよ、ぢようだんは真ツ平ですぜ。しかし実際人間の幸福の一切は、
うち
全く死ぬるといふ裡にこもつてゐるやうですね。』
ぶつ
『所が、不増不減不生不滅の此の地上には、仏から滅度を取ることを禁
びん ず る
ぜられた、仏母摩耶の父親頻頭蘆尊者ではないが、人間は死にたくも死
ねないから悲惨なものさ。』
かみよ
『そら神代の人は生き通しだつたとは、聞いて居りますけれど…………。』
でしやば
文教さんは又、出者張つた。
ぢゆ し
『神代の人つて阿魔、イヤお住つさん!今も神代と覚る人は神で、君だ
つて初め無き初めから終り無き終りまで生き通すことさへ覚つたら神な
つもり
のだよ。お互に初対面の了見でゐるが、これまで何遍会つてるか知れや
しないのだからね。真実の意味に於ては初対面といふことはありやしな
いのだ。』
い か おつしや どんな
『如何にもさう仰在ると、恁麼人に初めてお目にかゝりましても、何処
や
かで会つた如うな気が致しますね。』
文教さんは嬉しさうに斯ういつた。
ほうさうり レリ テ レ テ
『だから列子は蓬草裡の髑髏に対して「我与若相知。未嘗生未嘗
セ ナンデ メ ヘル メ ベル
死。若果養乎我果歓乎」と謂つたのだよ。人間は最初から一人だつて
死んではゐないのだ。「我は天地と滅びん」と老子も曰つた。一人の亡
びた時は天地の滅びた其の時であらねばならぬ。一度居た者は何時の時
代にだつて居る筈だ。善導大師も「我身現是罪悪生死凡夫、曠却已来常
ぎよう モーゼ
没常流輙無有出離之縁」といつてゐる。堯が摩西に、老子が釈迦に、孔
だいかせう ポーロ あなん ヨ ネ
子がソクラテスに、大迦葉が保羅に、阿難が約翰に、南岳、智者、章安
な よ ところ か
が伝教、慈覚、智証に化つた如うに地を異へ時を異へて出た為に、人が
づ
気注かないのだよ。尤も同じ野に咲く百合の花でも、ソロモン王栄華の
まさ
盛装にも優つた粧ひを示す場合もあれば、空しく爐中に投げ込まれる時
ところ
もあるから、人間だつて時と場所によつて、他に知られる時と知られぬ
時とはあるけれども…………』
ムレバ ヲ ニ ル
『すると「我求仁斯仁至矣」と孔子の謂つた如うにね真に求めたならば
どんな
怎麼人にでも会へる訳ですね。』
とY君は膝を進めた。
『そら渇けるものが水を求むる如く、求むるものに身命を呉れて遣るこ
とは、求めざる者の為に一毛を抜くよりも易いのが、人情ではあるけれ
で
ども、真に求むる必要が生ぜなくちや、真に求めることは能きやしない
よ。求めに求めなければならぬ必要は、我知らず、一筋道を真一文字に
辿らせる。がその一筋道は親不知子不知の険道でなければ嘘だ。天国
びやくだう
の門は極めて狭い。二河白道も路巾僅に四五寸ではないか。善財童子に
ゆ か
連れがあつたら弥次喜多だらう。邁進ねば助からぬ一筋道を一人寂しく
辿つてさへ行けば救ひ主に会へるのだ。』
き
僕が斯う云ふとY君は質いた、
も
『併し、二百歳の長寿を有つた老子も三十三才で死んだ耶蘇も、死後問
題になつてゐるのは最後の一刹那の如うですから、幾つで死んでも同じ
ことでせうね。』
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大迦葉
釈迦十大弟子
の一人
二河白道
浄土教における
極楽往生を願う
信心の比喩
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