Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.7.31

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その25

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

四一 白隱の長寿法(4)

管理人註
  

           『ナーニ芽が幹と長るのが生きんが為、花が咲き実を結ぶのが伸びんが  為なら、花が散り実が落ち葉の枯れるのも、幹が枯れ根が朽ちるのも、                              くら  生きんが為、伸びんが為だ。「生れ生れ生れ生れて生の始めに冥し」な                   どゝ弘法はいつてゐるが、生れて已まず生れて已まぬ生の始めのあらう  道理もない。』            ち ゝ             こゝろ  『ヘエ………成程、亡父が生前書きました此の文言の意が偲ばれてまい  りまして御座います。』              なげし             ゼ         シ  と云ひつゝ文教さんの指す間には、「心本不生、法本無法」と題さ    ふる              かゝ  れた旧くもあらぬ扁額が掲つてゐる。         う ま   もの  『こりや実に巧妙い書だね。』       つまら   も の  『イヤ誠に拙劣ぬ筆蹟で………併し父は斯う申すと何で御座いますが信          うはべ   おとな                  あいそ  仰の何のといつて表面は温順しい人でしたが、子たる私の目にさへ愛想                     いひわけ       もとで  の尽きた陰険人物で御座いました。何しろ弁疏や懺悔を資本に商売をし  てゐましたからね。それに死にがけまで自分のした反対のことをいひま  して御座います。父が死にました当時、京都に流浪してゐました。私は、  突然父から「直ぐ帰れ」との電命に接しました時、何の用だか分りませ             さわ  んでしたが、恐ろしく胸皷ぎがしましたので、取る物も取敢へず飛んで  帰つて見ますると、意外にも頻死の状態に陥つて居りました父は、私の                              顔を見ると、やをら床上に坐りまして、「俺のいふことを諦くきいて腹                   い つ   う ち  にとめて、決して書き止めるなよ。何時も自宅を出る時には帰つて来ら    つもり  れぬ心算で出よ。誰に会つてもこれが会ひおさめと心得よ。又、今日の  おの                       おの  己れは明日の己れでは無い。財物書物其他何物でも、己が手許に在つて  は己れの役にはたゝぬものと承知せよ。智慧、才覚、文章、言語其他の                        あと     いね  無形物は猶更以てさうである。妻を娶れば猛虎と後差しで寝ると覚悟を  し、親しき友ほど強敵と心得よ。真の味方は敵の中に在る。向つて罵る                               者の声は、自分に一命を献げたいとの祈祷であるが、向つて讃むるもの               テヽ ヲ ル  には肌身許してはならぬ。棄恩入無為親を仇敵と心得て断じてあとを       すぐせ  弔ふな。又宿世の仇敵なればこそ、親子として現はれ出たのである。俺                            たゝ うち  が死んだことを親戚縁者へも知らせてはならぬ。四十九日経ぬ間は誰が                        あ ち ら   ゆ       とほざ  尋いても死んだとは云ふな。」などゝ遺言して、彼方等へ去けと私を遠                          そ こ  けました。直ぐと眠りに就いたやうでしたが、再び其室へ行つて見ると、  床は藻抜けの殻で、父は何処へ行つたか分らぬ了ひで御座います。父は        し と  巧く芝居を仕貫ふしたつもりでせうが、私はそれがいぢらしいので御座  います。』             しばた  斯う語つて文教さんは眼を瞬いた。                    こ と  『要するに無常を観じて忘れるなとの遺言なのだ。生活をなるだけ単純                        ゆゐごん     なま  にしてつまらぬことに光陰を費してはならぬとの遺言だよ。懶けてゐて                                 も日は暮れるし、悪事をやつても、善事をやつても時間は同じく経つて  了ふ。過ぎ行く光陰をあだに過すなとの訓戒だよ。』

   


『最後のマッチ』(抄)目次/その24/その26

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