Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.8.1

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その26

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

四一 白隱の長寿法(5)

管理人註
  

      『イヤ何うも有難う御座います。』                         し や ほ ん  と云ひながら文教さんは、更に傍の書棚から大部の殺青書を引摺出して うや/\                    恭しく僕の前に献げた。僕は其中の一冊を手に把つて何心無くパツと拡げ ると、    スルハ  ノ ニ   チ        ナリ   報父母恩 乃世尊之勝躅 云々         きしんじやうどう         つ  著者道元禅師の忌辰上堂の語が目に触いた。      こ れ     しんぷ  『あゝ此書も御親父の筆ですね。』  僕は此の道元の語から不図、    シテ   ヲ    シ   ヲ    テ    ラ ル   セ     ノ   ニ   変気質而志聖人 以不 父母深恩  云々の中斎先生の誓願が偲ばれて来た。僕は先程、芸術は満たされざる   もたら 恋の齎す産物であるといつた。然し亡き親を憶ふ心の結晶が信仰ではなか                   ほ   ほ           いだ らうか。一は抱き占めんとする愛情の火の火であり、他は抱かれんとする      ひらめ まごゝろの閃きではあるが、共に人間真実の発露ではなからうか。    キ      ニ          ニ       ル  ニ   シ ヲ シ  ヲ チ テ  キニ ノ   聴於無声、親於無形、子之事親、致情尽心乃至此、    チ シ    ニ   則庶乎孝矣、                       ど れ          こ れ  と述べせれた中斎先生は、孝経を愛誦して、何書よりも先に此書を門下 に授けられたが、       くだ   天よりも下らず、地よりも生ぜず、母より生ず              おも  と叫んで終生父母を憶ひに念うてやまなんだ涙の詩人日蓮が、彼れ自ら 内典の孝経だと云つた法華の行者になつたのも当然なことである。母を伴                             げんせい うて泉州和気に詣で、日蓮の像を拝し出家の念を起した深草の元政上人の 三願中の一願は、            つく   父母が長寿で孝行を竭したい  と云ふのであつた。大愚良寛の出家はもとより父の横死を悲しむの余り                                おも であり、親鸞や道元の出家とても、中斎先生と等しく亡き母を憶ひに懐う                  どんらん た結果であることは云ふまても無い。曇鸞が忠孝を以て信仰を解釈したの は当然なことである。骨肉を殺した頼朝の子は骨肉に殺されたが、矢張り             かたき          まも 源氏の裔である父時国が、仇を討つなとの遺言を厳守つた法然の専唱念仏 とても、もとこれ人を殺す心を殺す、謂はゞ徹底的に父の仇を報ずる為で あつた。耶蘇の伝道とても見ぬ父に憧れた余りであつて、而も十字架上に        と き 死なんとする刹那、猶、母をヨハネに托したではないか。難産の為に、右                         脇腹を断ち割らねばならぬやうな大手術によつて、漸つと生れた仏母摩耶          が、一七日苦しみ貫いて世を去つたことが、釈迦が出家の原因では無かつ                          たうりてん たか。彼は「母ありて我あり」と叫び、入滅の刹那に、利天に生れて出                   ねんご たと伝ふ母の為にのみ、特に棺より出でゝ懇ろに説法したではないか。さ れば「如来の戒法も孝養を離れず」と古人も曰つてゐる。八万四千の法門 悉く孝道の宣説と見ることが能きるし、孝心即信仰であるとも云ひ得られ                             あひて る。否、孝心以外に信仰は無い。僕は高僧の伝記を読む毎に、対者と父母                あ れ   こ れ         ぶつ との心情を思うて泣かされる。彼僧や此人やに想到すれば、仏、菩薩なる ものは亡き親を懐ひに憶ふ心に生れるのではあるまいか。而も仏、菩薩と     かたまり は親心の凝塊であらねばならぬ。人、父を忘れた時、神に見放されてゐる。 母を忘れた時、仏を喪つてゐる。然し、神を喪ひ、仏を喪つた寂しさに、    あこが        すが 異性に憧憬れ、物に縋る。夫を迎へ妻を娶るのも親無き寂しさからである。 斯くしてます/\親と離れて行くのではないか。即ち絶対の愛を信ずる心 は喪はれて、ます/\寂しさが加はつて行くのではないか。而もその寂し さの果てに蘇つた父こそ神であり、母こそ本当の仏であらう。                    ふ ざ け  今の先まで他愛も無いことを云つて、巫山戯てゐた僕は、何故か斯うし た思ひに沈んで行つて、云ひ知れない寂しさに襲はれて来た。                     おつしや  『先生は昔からの人は皆まだ生きてゐると仰在いましたが、私共は昔の                           か          と 本など読んで感心したり、共鳴したり致しました場合、著かれた人が疾く               いらつ に亡くなられて、今は何処らも被在しやらないと思ひますと、何となく涙 ぐましくなるので御座います』      みまも  僕の顔を熟視つて文教さん、斯く語り来つて何故か急に悄然とした。                             あきら  『何うも文教さんは、亡き親の心の痛ましさを憶ひに懐うて、断念めら  れぬのに違ひ無い………』    お も      したゝ  と痛感はれて強か同情されたので、                             きつと  『しかし爾うした時には、鏡をのぞいて見られると宜しい。必度其の対       うち  者は、鏡の裡にお出でなさるから…………』                 おくつき     なきちゝ              こゝろ  斯ういつて僕は、忘れられぬ心の墳塋こそ、亡父の住家であるとの意を    つもり 諷した了見であつたのだが、何故か文教さんは、  『え?鏡…………』          さしうつ  と云ひさした儘、差俯向いて何とも何とも言はぬ。




























『洗心洞箚記』 (本文)
その69
















元政上人
1623-68
瑞光寺の開祖





曇鸞
中国北魏の僧、
浄土五祖の初祖
 


『最後のマッチ』(抄)目次/その25/その27

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ