Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.8.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その28

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

四二 即便微笑有五色光(2)

管理人註
  

 『いよ/\本調子になつて来たぞ!』                        おもむ  Y君は覚えず叫んだ。やがて、ボーク/\/\と徐ろに打鳴らされる木   ひゞき          い こ 魚の幽韻がビン/\と火鉢に生凝る桜炭の薫りに調和して一種懐かしい。                      ようん 併し木魚の音は文教さんの内なる人を物語つた余蘊が無い。五郎正宗は刀                            かね を打つ一音に作者の利鈍を覚つたといふことだし、徳本上人は鉦の一音に         ぶつ                   な      いふ 剣客を覚らせた。仏の一切説が一音に籠り、神の一言が天地と化つたと云 のに無理があらうか。僕は文教さんの木魚の音に天才の摧折を思はぬ訳に               しづか は行かなかつた。それにしても閑寂なムードを漂はせる、悲し気な冬の山               くつろ              くろず 里の、身に迫る底冷たさも聊か寛和いで来るかの如う、何となく澄んだ                      ゆる           かんじやく 室内が漸次黄色つぽく変つて来るかにも思はれ、悠やかな昼間の閑寂が破 られながら、更に一層悠やかな閑寂を覚えるのも妙である。忘れてゐた元   のどけ 旦の長閑さが叩き出されて来たのも嬉しい。一座は黙々、四隣亦寂黙たり で、通天響地、たゞ木魚の音ばかりとなつた。      かはず  『芭蕉は蛙の飛び込む音に悟り、香厳禅師は爆竹の音に覚つたと云ふこ  とだし、ニユートンは地上に落ちた林檎の音に地球の引力を覚つたさう                  ゆふべ           あした  であるが、音韻は我等の福音だね。夕に死んだ我等が朝に蘇るのも脱け  て出た魂が耳から入るからである。「宗教はリズムである。」とは単に  聖楽家の言として聞くべきで無い。風に鳴る瓢箪をかしがましと打棄て        きよいう                      ひゞき  たところに、許由の情想の汲取れる如く、人心の散乱を沈める鈴の哀韻  には、彼の深沈な親鸞の悲情が偲ばれる。凝り固つた法然の念仏三昧境                     ひとゝなり           は、木魚よりも真鍮の捨鐘に響き、弘法の 為人 は、楽器よりも護摩の   ほ   ほ  ひらめ  火の火に閃き易いかも知れないが、寂味の豊かな懐しい彼の道元を偲ぶ  には、斯うした木魚のリズムで無くちやならないね。若しも彼の殷々た     ひゞき           くんじん                 わ が おんしや  る鐘の幽韻が美妙深遠なる浄土の燻塵なりとするならば、和雅温藉なる ほとけ  仏の音声だからねえ』  冷評半分に皮肉るともなく皮肉つた、斯うした僕の諷言に、文教さんは 乗地になつて、つとめて木魚を叩き出したが、容易に口を開かうとはしな                  ど こ            さはり い。Y君はモドかしくなつたのか、何室からか大きな置鐘を引摺り出して 来るなり一ツ、ボーンと響かせた。スルとそれをキツカケに、   爾時無尽意菩薩、即従起偏袒右肩………………                          ふさは  と文教さんは誦り出したが、木魚よりもヴアイオリンに調和しさうな文                こは           も の 教さんの肉声は、折角の寂味を打毀すに余りある淫音であつた。官能をイ ヤに刺戟する外、何等内耳に滲み徹る幽韻が無い。併し、淫欲鼓吹には住      はだし           しろもの            なご 蓮、安楽も洗足で逃げさうな肉声である。学芸を以て人心を和めんと企て        しりぞ             まゐら                 とほざ た孔子が鄭声を斥け、音声の美しさで五比丘を敬服せた威音王が伎楽を遠     もつとも                         けたのも道理であると思ひ、「有難く無い説教や頭の下らぬ読経を行る僧      なぐり            い 侶や牧師は殴殺せ」と或人の叫つたのも道理だなどゝ思へて来た。       あ だ           みめう   さなが  『成程、婀娜つぽいふくらみのある美妙音、宛ら新内のさはりの如しだ                           げぢき  ね。何だか魂が天外に堕ち、五体が地中に舞ひ上るよ「価値百千両金」  の朱房の垂下つた蒔絵の見台でも供養し奉らうかね。はゝゝゝ』  こんなこと   い             斯様言を放ひながら僕は早速便所へ起つた。すると驚くまいことか薄ら    どつぼ                        まる 暗い糞壺内には大円金が転がり落ちてゐる。然しそれは小さな円窓から射     おひかり                てんどがき してゐる円光であつた。「即便微笑有五色光」の壁書も面白い。窓の外に        ばくらう             えん/\ は川あり森あり麦隴ありで、高くもあらぬ山脉は蜿蜒として宛ら一大貨物      ホ ル ヰ ズ ン 列車の如く地平線上を走つてゐるが、余りにスピードが酷い為に、却つて 動かぬ如うに見えるかに観られた。東方碧瑠璃の停車場から、西方浄土の                 こんな 弥陀駅へ向つて行くのであらう?。斯麼余計なことを考へながら便所を出 て縁端の手水鉢で手を洗つてゐると、フト庭の片隅の破れた垣根に名も知           こゝろもち れない花がたゞ一輪、幽微風に揺いでゐるのに、惹付けられるとも無く惹                ふ ら 付けられたのか、僕は我知らず浮羅々々と降りて行つた。








































許由
中国の古伝説上
の隠者
 


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