い ゼウス
南蛮仏と謂へば説ふまでも無く天主教の本尊、天帝の像である。天竺伝
こそだて
来の黒観音、高麗渡りの白磁観音、安産育児の子安観音、慈母観音等の像
がマリヤの像であり、油掛け地蔵、水掛地蔵が基督像であると多数の信者
さと こ れ
が暁つた時は、伴天連の下火になつた其時だつたと云ふことだが、此像は
あらた
又、宗門検めを恐れて、崇高端厳な天帝像を後人の手に依りて悪劣な色彩
も の
に俗飾され、観音像とも弥勒像ともつかぬ仏像に塗り変へられてゐるので、
さつぱ な まこと
薩張り訳の分らぬ変な物に化らせ給ふ。天帝の末路こそ、寔にお気の毒な
次第である。
『時代を云へば時代順応、応化自在の観音は、三十三身を現はす大乗仏
またが いづ
だが、大小二乗に跨つて南北孰れにも転つてゐる弥勒菩薩は四十九体を
こ れ たしか ごしようこく
現はすよ、此像も慥に其の一体でがなあらう。尤も御生国は印度や支那
そ こ ら あた
では無く、和蘭か葡萄牙か西班牙か、まあ其処等辺りだらうね。』
文教さん怪訝な目を光らして、
『時代順応と申しますと…………』
こ ゝ き
『それや君!此寺の本尊に質いたら可いだらう。本尊は其儘でも、伽籃
は厭に現代化してるぢやないかね。』
い
『以前の儘だと亡国的だの、黴臭いのと評はれますので…………』
な ほ うつち
『改繕せば俗悪、改繕さねば黴臭い。それぢや打遺つて置く方が、手数
だけ助かるぢやないかね。』
こ れ
『ヘエ…………成程、併し、此像が西班牙…………』
不思議さうに文教さん、天帝像と僕の顔とを見較べてゐる。
こ ゝ すまゐ
『如何に修覆したと云へ、此家だつて僧侶の住居とは思へないぢやない
かね。』
と み か う
僕が庫裡と文教さんとを右顧左眄みて斯う言ふと、文教さんは何か思ひ
が ば しばらく す ゝ ほこり
出した如うに俄破と起ち上つて奥へ入つたが、少時すると、煤煙と塵埃
じくばこ
で真黒くなつてゐる大きな軸匣を抱へた来た。
こ れ どうか ついで
『此軸も何卒お序でに…………』
は た す ゝ
と、箱の埃埃を引つ払叩いて、中から取出したのは、油煙と香煙で煤け
ぼ ろ まきどめ
きつた襤褸々々の三尺巾の横幅だが、巻止に五十三観音図と記されてある
から、
『はゝん過去五十三仏か、五十三善智識の変体像かな。』
ま づ
と思つて見ると、拙劣い素人絵で観音像が五十三体描いてある。然し恐
ろしくも亦美して感じがする。それに能く観ると服装こそ観音に似てゐる
ひがめ いづ
が、実は吉利支丹信徒の肖像と見たは僻目か。額を見ると何れも弥陀の代
ど ひと かたまり や そ れ
りにマリヤが描かれてある。怎うやら一網打尽に刑られた連中の肖像らし
い。取残された信徒が斯うして秘密に亡霊を弔うてゐたのであらうと思は
れる。待てよ!天帝の像と云ひ、事によると、Y君の白蛇の話は、希臘神
も じ
話の天帝とレートー姫のローマンスから転訛した伝説を摸似つたのかも知
あ
れないぞ。それに彼の弁天池に祀つてある弁財天女も、或はマドンナでは
ないかしら…………とも思はれて、伴天連の真剣さが今更の如うに痛感さ
れた。
しの
『さては世を潜んだ伴天連の隠れ家だつたのだな。』
覚えず僕が斯う叫ふと、
ど こ
『え?何家が伴天連の隠れ家で…………』
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