Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.8.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その31

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

四五 吉利支丹伴天連の隱れ家(2)

管理人註
  

        まる  文教さんは眼を円うして僕の顔を見詰めた。        あなたとこ            き  『イヤ其事も貴僧宅の過去帳にお質きなさるが可いでせう。中斎先生が     どうまんなか  大坂の銅真中、而も信濃橋下番所近くに潜んでゐられたのが本当であつ  たとすれば、伴天連が其の真正面の敵だつた仏教の伽籃堂に、隠れてゐ                            はだし  たつて怪しむに足らないよ。それに阿難尊者や善財童子も跣足で逃げ出                           すてみ  しさうな美貌を有つた君の先祖の中には、無数の人間に舎身の恋を献げ  させる程の、恐ろしいチヤームを有つた白蛇、イヤ舶来美人もあらせら  れたでせうから…………』          あたり                わざ  と云ひながら僕は四辺を見廻すと、昔ながらの床柱に、態とらしい大き                つ           よく         ゼウス な埋木が施されてあるのが目に触いた。しかし熟視て見たが、マサカ天帝 像を祭つてゐた跡とも思はれない。  『伝ふるところによると、伴天連法度の当時は柱は愚か、樹の幹を繰り         そ          ま つ  抜いたりして密つと天帝を潜祀つてゐたのである。大木の幹を両断して、                     うつろ  うが  合せば人間一人を辛くも圧込み得るだけの空胴を穿ち、無数の長釘を打        やまあらし いかりげ            くうどう  込んで内部に豪猪の怒毛の如うに蔟出せしめ、其の空胴へ締込まれたと          云ふ伴天連は爾うした連中では無かつたか。俵につくらて積込まれた伴           ひきしお          あた  天連は、俵の中に、退潮時には腰の辺りまで、高潮時には海水が口鼻に                   い   そ れ           ど ば  及ぶ海岸の十字架に釘づけられたと伝ふ伴天連は、海岸の土坡なと掘り  窪めて天帝を祀つてゐたらしい。』  こんな                     つま                     かおつき  斯麼ことを思ひながら、文教さんはと見ると、狐に魅まれた如うな顔相              み つ  をして天帝像と観音図を注視めてゐる。                  がふ  『しかし文教さん!釈迦より四十二劫以前に華林園の龍花樹下で善恩仏  に教へを受け、釈迦の法嗣、当来の導師に任ぜられたといふ弥勒は、実                              は最後の審判官として再臨する基督なのだ。再臨までには僅つた五十六  億七千万年しか時刻が無いので余り遠方、では無い遠天へも行かず、手                            とそつ  近い欲界六天の四重天――釈迦が上天時代に居つたと云ふ兜卒天――に             説法しつゝ、龍華三会の暁を待つてゐるそうだから、日本伴天連の末裔         ふさは  たる君には最も調和しい本尊だよ。殊に弥勒浄土は男女同棲ではあるし、  ないげ  内外四十九院、ぢやない、四十九部屋に千男万女が押合ふさうだからね。        メシヤ       ぐ ぜ               けふじ  併し、観音は救主、否、救世菩薩といつて弥陀の右に座する脇侍、否、  ちから                       いや  大権の右に座する基督の変化であつて、衆生の煩悩を医す為に娑婆へ御  出現下さつた、男女両性の肉身の菩薩であつて、五十三身は愚か、蝶と    な        な  も現り花とも化つて舞ひ下さるから、大悲の法門を頂戴に詣づる男女も                                も と  多い事だらう。尚更大切にして置き、イヤ仕給へ。ナンセ身体が資本だ  からなあ。』  こんな  恁麼ことを言ひながら僕は、Y君を促して寺を出たが、何故か云ひ知れ  ない心の底に傷みを覚えた。文教さんは山門まで送つて来て、   どうか          うち  『何卒またお近い間に…………』  につこり  嫣然会釈するのを見て文教さんの為に泣かざるを得なかつた、それに僕   いれちが                えもの 等と入交ひに、頭巾真深に猟服を着た者が、獲鳥を引提げ鉄砲を担ぎなが ら迯ぐるが如く山門を潜つて行つたのには驚いた。

    
 


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