『時に先生!』
くつがへ
突如、Y君の頓狂声が僕の折角の心境を覆した。
『此世の国で無い天国の福音を伝へる吉利支丹は、謂はゞ毒薬で、一時
の危急を救ふことがあるとしましても、それは彼の「猫いらず」と云ふ
こども なほ
「人いらず」が、笑ひつゝ死ぬると云ふ小児の奇病を癒したとか云ふや
こ かすか とき
うなもので、道心維れ微に人心維れ危く、危急存亡の秋に応じて生れた
吉利支丹的道徳は、平和の国、存続の確実なる社会にあつては徒らに破
つるぎ な
壊の剣と化るやうですね。一時は莫迦にかぶれた信長も、光秀に殺され
る前には吉利支丹の弊害を認めて法度を断行せんとしてゐたやうですし、
豊公も最初は伴天連を奨励してゐたが、晩年には之を禁止し、徳川家康
あたま
が最新から吉利支丹法度を断行した所以も其処でせう。』
いきなり
とY君は続けた。壁立万仭の懸崖かせ突如突き落された思ひのした僕、
ひと
『他に話をする時には、対者を人間だと思はないで、歩く樹木とでも思
つてゐなくちやならないよ。僕も君も藁人形としきや思つてゐないのだ
から…………』
むつか
と、きめつけめと、Y君はたゞさへ難しさうな顔を、も一つ難かしさう
にして、
ひど
『藁人形とは酷いですね。』
『酷いのか、親切なのか、体験して見ると分つて来るよ。斯うして風が
おもむ ほゝえ つもり
徐ろに野に吹き亘るのも、池水を微笑ませる心算でも、松葉を啜り泣か
げん
せる考へでもないからね。君が僕の言を人形の言と思つて呉れてゐたら、
ふく や
空池が渓流に腹を膨らす如うにちよとやそつと僕の言意が入つてゐる筈
も
だ。天国が此世に国で無ければこそ此世を浄める福音を有つてゐるのだ。
はな
浄土が娑婆と全然懸隔れて居ればこそ娑婆が救へるのではないか。明智
光秀が信長を亡ぼし、石川五右衛門が豊公を気死せしめ、天草四郎や、
由井正雪や、山鹿素行や、熊沢蕃山や大塩平八郎の如うな吉利支丹が、
こ と と
徳川を倒した消息位、疾くの昔に分つてゐる筈だからなあ。』
『それぢや、吉利支丹の一人たる平八郎が何故吉利支丹が婆を退治した
のでせうか。』
『何、それは本当の吉利支丹が贋吉利支丹を退治したまでの事だ。例へ
ば天正吉利支丹の事実的管長時代の信長が、古い吉利支丹の流れであつ
た叡山三千坊を焼き払つた如うなものだ。今日の教会でも牧師、信徒の
群は、悉く贋物だから本当の吉利支丹が現れたら、天照皇大神の御名に
き
よりて、成敗を加へられるのに定まつてゐるよ。元来吉利支丹は、天地
ほうに やまと
生々の大精神、法爾妙法の真生命で、いはゞ日本魂の別名なのだ。それ
たゞ
と名乗らないでも、真の日本人が誰しも其の本質を有つて居るのだ。啻
に日本人ばかりではない。真国家の建設者、毅然たる革新者は如何なる
もと
迫害の下にも、生命の代償を払つて、天国を購ふ殉真者の心が、所謂吉
利支丹なのだ。決して一異教徒の専有物で無いのである。苟も自性に目
覚めた人間は、厭でも同胞を己れの如く愛するものだ。否、真に己れを
き
愛するものだ。自己それ自身を見限り棄てるその儘が、自己救済である
ひと
と共に他を救ふことになるのだからなあ。それが即ち吉利支丹ではない
か。「天より之を祐く、吉にして利あらざるなき」易の精神ではないか。』
も の
斯う云ふ話をして行くと、麦畑を切々と踏んで居る百姓がある。
た ね
『麦は種子を蒔いて、踏めば踏む程、発育の完全になつて行くものだ。』
百姓とY君の問答が始まる。
『寒いのに御勉強ですね。』
こやし
『いや、折角斯うして蒔いたのを踏んで置かないと、風が肥料を吹き飛
た ね
ばしたり、烏が来て麦種をほぜくつて了ひますから…………』
僕はいつた。
あが
『Y君!「下に圧すれば上に跳る。動を制すればいよ/\動く」で圧迫
は生命の肥料だぜ。』
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