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つぐ
Y君は口を緘んでサツと道を逆戻らうとする。
こちら
『此方からも行けさうだね。』
そ
僕はY君を呼び戻して道を外れた。或る部落が土砂と灰とに埋もれた儘
しやうじやう
幾千年か人目にも触れないで経過したかの如うな心地をさせる蕭條たる荒
た
野の中程に大木がたゞ一本寂しく佇つてゐる下に、たゞ一軒の藁小屋に向
うし
つて芝を負うて山から帰り来るたゞ一人の男の背ろ姿が、何かしら芭蕉の
ゑ
句に見る孤独味を偲ばせ、ミレエの画に現はれた哀愁を感ぜしめたからで
ある。しかし近付いて見ると、囲炉裡に火が燃えて自在鍵に掛つた鍋から
あが そとみ あたゝ うち
そろ/\湯気が昇つてゐたが、外見寒さうで案外温かな小屋の裡には、俗
おやじ おちつ
で、克明で、正直で誰にも評判の好ささうな阿爺が沈着いた顔をしてバタ
/\食事ごしらへをやつてゐる。不図来た方面を顧ると、これは又如何な
ねぐら
こと、田の中に佇ちはたかつて塒に帰る無数の鴉を眺めてゐる。夫婦の百
じやうこう
姓が何だか生きた普賢文殊の如うに思はれて僕は常恒不断の華厳講座にあ
づ
ることに心注いて我に返ると、足下には藍よりも青い小池が氷に閉されて
しき
下には大きな鯉が泳いでゐる。切りに念仏を唱へつゝ歩んでゐるY君を見
かへ
顧ると、
『中斎先生の墓詣でに念仏も可笑しいですね。』
と言はつしやる。
『これや呆れたね。マサカ君が、中斎が親鸞の再来たる事位、分つて居
ないとは思つて居なかつたよ。無量寿経は主観的物理学であり、易は客
せんでうしんく
観的心理学であると云ふのも、前者の「洗滌心垢」も後者の「洗心蔵密」
き ゝ ししき えつよ
も、要するに、巍々たる実在の光顔が、姿色悦予の自己であつて「鳴鶴
これ なんじ つな う
陰に在り、其子之に和す、我に好爵有り我、爾と之を靡ぐ」と古人も易
た ふたり
辞つてゐるではないか。中親が易の体験者たる事は幾度も言つたことだ
こ む い
が、「弥陀とは虚無の身、無極体」と曰つたは取りも直さず、「神無方
易無体」であつて、而もそれが中斎の所謂「易礼一元、易礼一元」
ではないか。』
て こ ず
『然し、奸僧退治や伴天連退治に手古摺つたからかも知れませんが、中
だかつ
斎は仏教を痛撃し、僧侶を蛇蠍視してゐたさうぢやありませんか、禅を
罵り念仏をも嘲つてゐたやうに聞いてゐますが…………』
『中斎の大虚とは禅の所謂「凾蓋天地大虚充満」あり、親鸞の所謂「尽
めい ごう ぐわん くわん
十方無碍光如来」ではないか。迷即業、願即観で、禅即念仏たることは
さつき
先刻詳しく話したではないか。それに今日教祖と仰がれてゐる人間は、
皆非僧非宗教家であつて、当時の教壇を呪ひ僧侶を罵つてゐない者が一
人でもあつたかね。』
『だつて中斎は「智慧坊主親鸞」などゝ親鸞を冷評してゐるぢやありま
せんか。』
しろもの
『君はよくせき分らない代物だね。真の讃言は冷評に聞える事がまだ分
つてゐないのかね。貴族出身の親鸞が当時非人扱ひにされてゐた穢多仲
ひた か ぎやうじつ
間に浸り込んで、彼の所謂同一念仏無別同時を行実の上に讃したところ
に、中斎は惚れ込んだのだ。言ふまでも無く其の純一無垢な信仰に共鳴
しりぞ うと
したからだ。俗を斥け隣人を忘れて独善孤高の享楽的学究を、疎んじき
つた中斎としては当然の事ぢやないか。』
『ぢや存如が新平民の娘を貰つたのも、全く親鸞の遺風を継承した訳で
すかね。』
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蕭條
ひっそりとして
もの寂しいさま
姿色
みめかたち
悦予
悦楽、満足
行実
その人の行って
きたこと
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