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『それに中斎も親鸞と等しく私生児であるらしいが、性格を異にし、態
度を異にして外形上何等類似の点無きが如くなれども、其の信念に生き、
其の信仰に殉ずる点に於て、中斎親鸞何等異つたものではない。親鸞が
浄土信仰を純化し徹底せしめて念仏中の正念仏たらしめた如うに、中斎
みやく う
亦血肉を以て口頭文義の孔孟学に脉を搏たせたぢやないか。「先生の学
は虚に帰するを以て的と為す、然して其志は如何」との問に対して「世
いきどほ つな た
を憂ふる者あり、世を憤る者あり、世を継ぐ者あり、世を矯むる者あり、
もてあそ はし のが
世を玩ぶ者あり、世に趨る者あり、世を遁るゝ者あり、世を忘るゝ者あ
あひだ
り、其の弁、只機微の間に存すとは、是れ顧端文公の言なり、我を生む
はうしゆく ご し それがし
者は父母、我を知る者は鮑叔、吾子知己、即ち宜しく之れに就て以て某
たね
の志を選ぶべし」との中斎の答へは、「念仏は誠に浄土に生まるゝ因に
はべ
てや侍らん、また地獄に墜つべき業にてや侍らん、総じて以て存知せざ
るなり」との親鸞の叫びではないか。親鸞が、真綿に針を包んだ如うに、
温順謙遜な裡に鋭鋒を潜めてゐることは、彼が筆跡や撰述が証明してゐ
きよがう
る如うに、豪猛一途の人、剛愎倨傲の人かに見えてゐる中斎の内人は、
た ち
極めて優しい謙虚な性質であつたことも、これ亦彼れの墨蹟なり、著述
ほうたん
の証明なりの吾人に告ぐるところではないか。華厳の凰譚は教行信証を
狂人之書と嘲り、国学者の林信友が中斎を狂儒と罵つたのも面白いコン
トラストではないか。』
『それでも大塩家は代々日蓮信者であつて、中斎は特に日蓮崇拝で、旗
上げの時にもお題目の旗があつたさうぢやありませんか。』
モーゼ
『支那の摩西、堯を宗とする尚書の文句に初まつた中斎の檄文は、仁王
いづ コンデンス
経から出発した立正安国論であり、孰れも力の充実した血涙の凝塊であ
か れ こ れ
つて、中斎の「帰太虚」は日蓮の「皆帰妙法」ではないか。性格から、
行動から、筆蹟までも、日蓮と中斎は同一の霊の出現たるを思はしめる
よく おお み よ
事程、左様に酷似てゐるし、中斎が天照皇大神の大御代に復したいとの
も
念願を有つてゐたのも、日蓮が世界を法華一乗州たらしめんとしたのも、
其根本義に於て何等異るところが無い。だから親鸞と一緒だと云ふのだ。
君だつて日蓮は文言上の親鸞であり、親鸞は音韻上の日蓮であること位
ふたり そ れ
分つてゐるだらう。試みに親日の著述を読んで見玉へ、前者の著述は文
字が消えて音韻だけになつて了ふし、後者の著述には、音韻が無くなつ
こ け
て文字だけが残るよ。彼れの「去仮顕真」は弥陀招還の勅命に聞き、此
したが
れの「開権顕本」は釈迦の付属に信順つたのだからね。』
さうしよう
『だつて先生は「万事一体の愛に生きんとした中斎は専ら霊の相承を重
せう
んじて、妻を有たず、尤も妾が一人あつたが、それすら尼にさせたのに、
おつしや
親鸞は好い年をして後妻まで貰つた。善鸞などは前妻の子だ」とか仰在
つたぢやありませんか。』
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倨傲
おごりたかぶる
こと
相承
学問・法・技芸
などを受け伝え
ていくこと
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