そ れ ほたへ きやうだい
『イヤ其犬は其時直ぐ喧嘩を中止して嬉戯てゐたのだ。何しろ同胞同士
ほか ちが
で八匹中の二匹だつたのだからね。それに他の六匹もそれ/\宗旨の異
おてら
つた寺院へ貰はれて行つたとかいふことだ。』
『ぢや今猶噛合つてる犬は何犬です?』
『それや知れた事ぢやないか、資本家の犬、迷信の犬、恋の山犬だ。』
僕は斯ういつて、足を速めた。
『コリヤ!』
よば かぼそ
と忽ち呼はる声がする、微細い声であるが、強さうで其の実極めて弱い
僕の全魂に轟いた。
ほ ざ
『貴様達は何を愚図々々放言いてるんだ。吉利支丹が如何したと云ふん
だ。仏教が何だ、イヤ五右衛門だの、イヤ中斎だの、親鸞だの、道元だ
やかま
の、耶蘇だの、釈迦だのと、糞八釡しい。其時代にあつては一寸面白さ
そんなもの むしば
うな奴でも、今時其麼漢を引ツ張り出すのは、焼場から齲歯を拾ひ出す
ほこりたゝき
よりも愚なことだ。達磨が先度の大戦に飛行家と生れ変つて塵埃打で塵
むらが
埃を払ふ如うに、群り来る敵機を片ツ端からかち落して、花環をバラ蒔
もぐら のぞ
いてゐた如うに、土龍の藻繰込んだあとを幾ら覗いたつて土龍は出て来
やしないさ。天平時代の伽藍、平安朝時代の僧院は素より鎌倉、室町の
寺塔だつて、皆当時の政庁でもあり軍艦要塞だつたのだ。現在の軍艦要
な
塞も既に古展の陳列品と化つてゐるのではないか。支那の昔ですら孔子
が四十余年非戦論を唱へたが、四海の内はます/\修業場に化つちやつ
こうし ど
た。新しい支那の新しい狡子が軍備縮小案だつて、恁うせロクな事では
いくさ や
ない。人生は闘争だ。戦の已んだ時は人間の全滅した其の時だ。今し火
ふ
を噴かんとする活火山頂に立ちながら、焼跡の釘にも劣つた既成哲学や
かゝづ なかば
宗教などに拘泥らつてゐるのは、火事最中に銀蠅を追つ駆け廻る以上の
づ
悲惨な努力とは気注かぬかい。信仰は深黙だ。感受すべきで、考へるべ
しやべ
きものではなく喋言るべきもので無いことは言ふまでも無からう。基仏
えききやう ほ
両教を太極鍋に入れたり、各宗各派の宗祖共を易筺内に投り込んで何う
そんな みちばた どくわい な が
仕様と云ふんだ。其麼手間で道傍の土塊でも諦視めて見ろツ!』
と何物かゞ何処からか怒鳴つたかに思へたが、それは近き外から響いた
げん
有声の言ではなくて、遠い/\自己の内部から聞えた無音の声であつた。
くすのき
不図仰向くと、天を目ざして聳え立つてゐる巨人の如うな樟の大樹が、雄
偉素朴の面影に天造草率の光景を物語つてゐるかに思はれた。そして不思
め で ヒ
議な形をした巨厳山が右手の景色を限つてゐるが、広い湖水が其の下に英
ロイズム
雄主義の風格を漂はしてゐるかに思はれ、緑色や褐色の衣を来た丘や山が
ころもがへ
段々と朧銀地の平野に更衣して、火無くして燃ゆる火、声無くして響く劇
パツシヨン うた
薬的音楽とも云ふべきゴオホ的情熱が、悲哀の底の歓喜を讃ふミレエ的律
動に変じて来た。
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