Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.8.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その40

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

六七 中斎と親鸞、親鸞と日蓮の大闘争(4)

管理人註
  

     そ れ             ほたへ         きやうだい  『イヤ其犬は其時直ぐ喧嘩を中止して嬉戯てゐたのだ。何しろ同胞同士                     ほか           ちが  で八匹中の二匹だつたのだからね。それに他の六匹もそれ/\宗旨の異    おてら  つた寺院へ貰はれて行つたとかいふことだ。』  『ぢや今猶噛合つてる犬は何犬です?』  『それや知れた事ぢやないか、資本家の犬、迷信の犬、恋の山犬だ。』  僕は斯ういつて、足を速めた。  『コリヤ!』     よば             かぼそ  と忽ち呼はる声がする、微細い声であるが、強さうで其の実極めて弱い 僕の全魂に轟いた。              ほ ざ  『貴様達は何を愚図々々放言いてるんだ。吉利支丹が如何したと云ふん  だ。仏教が何だ、イヤ五右衛門だの、イヤ中斎だの、親鸞だの、道元だ                やかま  の、耶蘇だの、釈迦だのと、糞八釡しい。其時代にあつては一寸面白さ          そんなもの               むしば  うな奴でも、今時其麼漢を引ツ張り出すのは、焼場から齲歯を拾ひ出す                             ほこりたゝき  よりも愚なことだ。達磨が先度の大戦に飛行家と生れ変つて塵埃打で塵          むらが  埃を払ふ如うに、群り来る敵機を片ツ端からかち落して、花環をバラ蒔           もぐら           のぞ  いてゐた如うに、土龍の藻繰込んだあとを幾ら覗いたつて土龍は出て来  やしないさ。天平時代の伽藍、平安朝時代の僧院は素より鎌倉、室町の  寺塔だつて、皆当時の政庁でもあり軍艦要塞だつたのだ。現在の軍艦要               塞も既に古展の陳列品と化つてゐるのではないか。支那の昔ですら孔子  が四十余年非戦論を唱へたが、四海の内はます/\修業場に化つちやつ             こうし            た。新しい支那の新しい狡子が軍備縮小案だつて、恁うせロクな事では            いくさ  や  ない。人生は闘争だ。戦の已んだ時は人間の全滅した其の時だ。今し火     を噴かんとする活火山頂に立ちながら、焼跡の釘にも劣つた既成哲学や       かゝづ           なかば  宗教などに拘泥らつてゐるのは、火事最中に銀蠅を追つ駆け廻る以上の            悲惨な努力とは気注かぬかい。信仰は深黙だ。感受すべきで、考へるべ         しやべ  きものではなく喋言るべきもので無いことは言ふまでも無からう。基仏                       えききやう   ほ  両教を太極鍋に入れたり、各宗各派の宗祖共を易筺内に投り込んで何う          そんな      みちばた どくわい    な が  仕様と云ふんだ。其麼手間で道傍の土塊でも諦視めて見ろツ!』  と何物かゞ何処からか怒鳴つたかに思へたが、それは近き外から響いた     げん 有声の言ではなくて、遠い/\自己の内部から聞えた無音の声であつた。                           くすのき 不図仰向くと、天を目ざして聳え立つてゐる巨人の如うな樟の大樹が、雄 偉素朴の面影に天造草率の光景を物語つてゐるかに思はれた。そして不思            め で                     議な形をした巨厳山が右手の景色を限つてゐるが、広い湖水が其の下に英 ロイズム 雄主義の風格を漂はしてゐるかに思はれ、緑色や褐色の衣を来た丘や山が           ころもがへ 段々と朧銀地の平野に更衣して、火無くして燃ゆる火、声無くして響く劇               パツシヨン          うた 薬的音楽とも云ふべきゴオホ的情熱が、悲哀の底の歓喜を讃ふミレエ的律 動に変じて来た。

 
 


『最後のマッチ』(抄)目次/その39/その41

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