ふたり
やがて僕Yは有馬街道の山口村へ出た。有馬街道と云へば、昔は随分人
通りの多かつたものだが、汽車や電車のお蔭で、今日は全然寂れ果て、久
ふところ
しく旅人の懐中を絞つて、農作の労苦を忘れてゐた此村の住民の多くは、
家を閉ぢて、昔ながらの山口半紙や、温泉土産の有馬籠など拵へて、カツ
くらし
/\の生計を立てゝゐるとか。今日田地の暴騰や土地熱の流行に浮かされ
こくほん
て、此の瑞穂の国の国本たる農業に、真面目に従事するものはなく、着実
かたぎ とじん
な田舎気質が、年一年と投機的打算的の都人根性と、悪変しつゝあるが、
い つ や
殷鑑遠からず、何日か此の山口村に見る如うに、何かの内職で、漸つと露
命を繋がねばならぬ時節が来るに違ひない。
は な し
僕は斯うした感想談を仕掛けると、
こ ゝ
『それでも此村は有馬郡での模範村ですぜ。』
とY君は漸つと口を開いた。
『役場に無用の調査書が無数に備付けられてゐるのと、青年会に婦人会、
音楽会に慈善会、教育会、精神修養会に国粋保存会と云つた風に、見て
あ ち こ ち
くれ看板が彼方此方に掲げられてあるのと、農事協会とか地主組合とか
い いぢ
名ふ泣く小作人を苛める地頭の相談所があつて、村長以下の村役人が郡
せうちん なづ
長閣下の御意を迎へるのと、村民の意気が全く銷沈して、健全思想と名
はうばく
くる国粋、否、酷衰根情が全村に磅磚してるからなのだらう。』
と浴びせかけると、
『現代模範條例と云つた感じがしますね。』
Y君は早速受取つた。
き み バツク な ら
『しかしY君。山を背景にした斯うした古い木造家屋の櫛比んだ昔の街
は、何だか彫刻された林の如うな感もするし、遠くから見ると、無数の
ところ
木像が並んでゐる如うに思へるよ、息苦しい箇所が無いからでもあらう
がね。』
む どれあ
『所が一皮剥いて見ると、田舎の病所と都会の欠点が野合つて何とも云
へぬ厭な人情を孕んでゐますよ。大阪や神戸のやうに俗悪なら俗悪なり
にあゝして表へサラケ出されて居れば却つて人間味があつてよろしいで
すけれど…………』
『イヤ山里に住んでる君が、阪神を恋しがるのも無理は無いよ。と云ふ
あ
のは寒気と戦ふ為に生れてゐるやうな、彼のアラスカやアイスランドな
どうか
どの土人に、往生要集を見せてやつたら、八熱の地獄を見て、「何卒こ
おも
んな極楽へ往きたい!」と念ふだらうからなあ。』
『しかし今時此処等に居る奴は都会へ移りたくも移る力の無い奴か、都
会の落伍者か、都会から逃げて来てゐる奴ばかりですからねえ。』
『それぢや阪神といふ獣病院の死屍収容室ともいふべきものかね。』
かたら ふたり
などゝ語合ひながらも、飲食店は無いかとばかり心がけてゐた僕Yは、
したく
支度店らしい家が見つかつたので、飛付く思ひで入つて見ると、元日だ
や す い
から休業んで居ると断ふ。其他の店、他の店と片つ端から尋ねて見たが、
申合せた如うに断はられた。中には入らうとすると、開いてゐた入口の障
わざ
子戸を態と閉める店もある。
ど
『先生!怎うも困りましたね。私一人でしたら喜んでやつて呉るのです
が…………』
つもり
洒落を愚痴つた了見のY君の斯の言は、無意識的な愚痴である。
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