『僕の為に餓死して貰つては気の毒だから何とかするよ。』
なご
僕が斯う和めてかゝると、
しゝ けい/\
『併し、幾ら猿や猪を相手にしてゐる山家でもねえ。烱々たる眼を光ら
して真一文字にグン/\やつて来られるとねえ。』
と、Y君は調子に乗つて来た。
とつぱし
『そらまるで汽関車が脱線したなり衝走つてゐるかの如うな言ひ方だね、
け もの
凡俗の目には類神人は類猿人と見え、聖者は狂者、真人は怪ツ体な人に
見えるものだが、十戸の邑にも又、僕の如き怪つ体な人間が居ないとも
ま かゝ
限らんよ。況して斯る大村をやだ。安心したまへ、今にキツト歓迎させ
てこませるから…………』
おもかげ
といつてる目の前に、昔の俤を宿して傾いた甍が時代の推移を語つてゐ
る宿屋兼料理屋が現はれた。
『御免!』
うちら
と云ふより早く僕は家内へ飛び込んで見ると、シツポク台の傍には、三
十五六の主婦らしい女が、綺麗に丸髷に結つて老若二人の男を相手に、
面白さうに酒を酌み交せてゐる。
『あのお神さん!一寸支度をしたいのですが…………』
う へ
聞えた筈だが返辞もしない。仕方が無いから、僕は矢庭に室内に上り込
んで、
こ れ
『取敢えず此財布を預つて置いて下さい!』
垢染みたの鬱金の財布を其の女に突付けた。
『アレツ!』
と、叫んで逃げ出さうとする女の袖を覚えず僕が引き止めると、年寄の
さかづき つ
方の客が、手にしてゐた酒杯を下へ置くなり衝と起ち上つて。
わ うち
『な、な、なんぢや汝れや、だしぬけに勝手に人の家へ上つてうせて、
ふ ざ け
巫坐戯た真似をさらすと、叩き伸して了ふぜツ!』
たて さゞえ こぶし
雷の如うな胴羅声を振り立て、蠑螺の如うな拳を固めて身構へをした充
実さ、昔の音羽屋にでも見せてやりたかつた。
し
『飲食店を営てゐて、人が支度を頼んでゐるのに、逃げないでも好いぢ
やないか。しかし君が、このお神さんの為に厄鬼となつて、罪も無い僕
か よ
を叩き伸ばして呉れる程の義侠心を発揮されるとは、見発けに由らぬ頼
ど
もしい男だね。怎うだ一緒に飲まうぢやないか。』
くわつ/\
男は火々になつた。
い ぬ
『なにツ!もう一遍吐つて見ろツ。生意気なこと吐かすと張り倒すぞ。
ど
金を握らさなきや、人が相手にして呉れねえやうな奴は、何うせ碌な餓
鬼ぢやあるめえ。憚りながら、この山口村から有野、金泉寺、生瀬へか
ぬ
けて誰知らぬ者のねえ船坂の虎松ぢや、愚図々々吐かさずにトツトと出
ひね つぶ
て失せやがらねえと、捻り殺すぞ。』
いきなり
と云はせも果てず、突如、僕の胸倉を引掴んだ刹那、
『オイ、虎公何するんだ。』
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