社殿に辿り着いて見ると、これはまた如何な事、金文字漆塗りの看板に
たて
「神勅祈願申込所」とある。別に「高島易断」といふ竪看板も掲げられて
はや まも
ゐる。俗は俗だが、こんな山中に、一向流行らぬ神社のお守りをしてゐる
人に取つては、又已むを得ない生活の方便かと、そゞろに同情を禁ずるこ
ばいぼく おやぢ
とが出来なかつた。「陰陽師身の程知らず」で売卜者と云へば貧乏阿爺に
決まつてゐるかに思はれるが、春秋貧しく物質亦乏しくて飢渇に泣いてこ
い つ
そ、易が断てられるのだ。「易を作れる者夫れ憂患ある乎」と孔子も繋辞
かは
た。などゝ思つて何となく敬虔な心でゐると、Y君とM君とが交る/\お
しばらく
となふたが、つから出て来さうにない。然し暫時待てば会へる如うな気が
ふたり へ た
するので、僕はYMと共に社務所へ上つて平太り込んで、小一時間も雑談
うや/\ いつ
に費やしたが、神官は帰らない。僕は持合せた扇を笏に恭しく一揖して、
形ばかりの社殿に入り、座に着き更に一揖し、笏を正しつゝ立て再拝し、
う たび ねむご
手を拍つこと四度、懃ろに神拝の次第を踏み、
かむづまります すめむつかむろぎ かむろみのみこと みちて
高天原仁神座須皇親神漏岐、神漏冊乃命以弖、豊葦原乃瑞穂乃国、
いつくさの たなつもの みたまいなりのおほかみと いつきまつる
五穀乃種津物乃神霊飯成大神止斎祭…………
のりと す うしろ
稲荷の祝詞を誦げ初めた。祝詞が了んで背後を振向くと、神主と覚しき
うしろべり
老翁が何時の間にか来て、二青年も一つ後辺に行儀好く座つてゐる。一寸
気品のある骨格。
どうぞ
『お留守かと思つて、無断で一寸御邪魔を致しました。何卒御免なされ
て………』
つ
『ナーニ滅相な事、Mさんがお伴れなしてお出での方だから、心安く存
じて居るでごはす。まあ/\お茶でも入れるでごはすから、大変むさく
るしいが、私の居間へお出でなさつて…………』
ぢ い
『お老爺さん、あんた、何処へ行つてたの?』
し た
『何、つい此の山麓の観音堂へ行つてたでごはす。』
『フン、例のお婆さんとこかへ、相替らず仲が好いんですね。』
からか おぢい
M君が揶揄ひ気味で言ふのを、阿爺さんは真面目に受ける。
『ハイ、どちらも一人で淋しいものでごはすから、チヨイ/\会ひに行
つたり、来たりしてゐますぢや。』
神主の居間と云ふのは、見晴しの好い六畳の間、折からの夕陽射しが、
まづ
縁端に置かれた福寿草の蔭を障子に映じてゐる。易の四聖人の極めて拙い
た
画幅の掛けられた床の間の小脇には、書籍と記された煤けた本箱が僅つた
一つ、机の上には易経と、暦と、外に古呆けた数部の本が、大分使ひ慣れ
ぜいちく わらび
た大小二組の算木と並んで、キチンと重ねられ、手沢に光る筮竹は蕨を刻
める竹筒に立つてゐる。
『こんな山上のお暮しは誠にお羨しいですね、それにお近くにお婆さん
・・・
がゐらつしやるさうですが、それはあなたの茶呑み友達ですかね。』
|