Я[大塩の乱 資料館]Я
2015.8.29

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「大塩の乱関係論文集」目次


『最後のマッチ』(抄)
その45

岡田播陽(1873-1946)

好尚会出版部 1922

◇禁転載◇

七一 悲慘なる末路の跡(2)

管理人註
  

 社殿に辿り着いて見ると、これはまた如何な事、金文字漆塗りの看板に                         たて 「神勅祈願申込所」とある。別に「高島易断」といふ竪看板も掲げられて                   はや       まも ゐる。俗は俗だが、こんな山中に、一向流行らぬ神社のお守りをしてゐる 人に取つては、又已むを得ない生活の方便かと、そゞろに同情を禁ずるこ                      ばいぼく            おやぢ とが出来なかつた。「陰陽師身の程知らず」で売卜者と云へば貧乏阿爺に 決まつてゐるかに思はれるが、春秋貧しく物質亦乏しくて飢渇に泣いてこ                                 い つ そ、易が断てられるのだ。「易を作れる者夫れ憂患ある乎」と孔子も繋辞                             かは た。などゝ思つて何となく敬虔な心でゐると、Y君とM君とが交る/\お                     しばらく となふたが、つから出て来さうにない。然し暫時待てば会へる如うな気が        ふたり           へ た するので、僕はYMと共に社務所へ上つて平太り込んで、小一時間も雑談                          うや/\    いつ に費やしたが、神官は帰らない。僕は持合せた扇を笏に恭しく一揖して、 形ばかりの社殿に入り、座に着き更に一揖し、笏を正しつゝ立て再拝し、    う       たび  ねむご 手を拍つこと四度、懃ろに神拝の次第を踏み、        かむづまります すめむつかむろぎ   かむろみのみこと みちて    高天原仁神座須皇親神漏岐、神漏冊乃命以弖、豊葦原乃瑞穂乃国、    いつくさの たなつもの   みたまいなりのおほかみと いつきまつる    五穀乃種津物乃神霊飯成大神止斎祭…………     のりと           す    うしろ  稲荷の祝詞を誦げ初めた。祝詞が了んで背後を振向くと、神主と覚しき                   うしろべり 老翁が何時の間にか来て、二青年も一つ後辺に行儀好く座つてゐる。一寸 気品のある骨格。                           どうぞ  『お留守かと思つて、無断で一寸御邪魔を致しました。何卒御免なされ  て………』                  『ナーニ滅相な事、Mさんがお伴れなしてお出での方だから、心安く存  じて居るでごはす。まあ/\お茶でも入れるでごはすから、大変むさく  るしいが、私の居間へお出でなさつて…………』     ぢ い  『お老爺さん、あんた、何処へ行つてたの?』          し た  『何、つい此の山麓の観音堂へ行つてたでごはす。』  『フン、例のお婆さんとこかへ、相替らず仲が好いんですね。』     からか          おぢい  M君が揶揄ひ気味で言ふのを、阿爺さんは真面目に受ける。  『ハイ、どちらも一人で淋しいものでごはすから、チヨイ/\会ひに行  つたり、来たりしてゐますぢや。』  神主の居間と云ふのは、見晴しの好い六畳の間、折からの夕陽射しが、                                まづ 縁端に置かれた福寿草の蔭を障子に映じてゐる。易の四聖人の極めて拙い                                画幅の掛けられた床の間の小脇には、書籍と記された煤けた本箱が僅つた 一つ、机の上には易経と、暦と、外に古呆けた数部の本が、大分使ひ慣れ                            ぜいちく わらび た大小二組の算木と並んで、キチンと重ねられ、手沢に光る筮竹は蕨を刻 める竹筒に立つてゐる。  『こんな山上のお暮しは誠にお羨しいですね、それにお近くにお婆さん             ・・・  がゐらつしやるさうですが、それはあなたの茶呑み友達ですかね。』

   


『最後のマッチ』(抄)目次/その44/その46

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