ぶしつけ ぢ い
無躾に僕が訊くと、お老爺さん、一向平気なもの、
そんな むかふ
『まあ其麼ところでごはせうかな。尼と神主とで宗旨も違ひ、先方は物
しやべり あひて あちら
言はず、此方はお喋舌、対者は下戸、私は上戸、彼方は百姓出、手前は
な はて う ま
士族の成れの果、何から何まで反対でごはすが、意志は能く合うでごは
と し
す。若いものもチヨイ/\游びに来るは来ますが、年齢は年齢だけの世
かんがへ
界があると見えて年が違ふと思想も違ひまして、同じ話を致しましても、
あじは ちが
まるで味ひが異ひまするでな、しかし老人国ほど、人が少ないものでご
はすから、嫌はれるとは知りながら、兎角若い者に近づきますが、除け
ひがみ
ものにされるやうな妙な僻見が出まして、余計に年寄同志が恋しくなる
い ろ
でがすよ。もう此の年になりますと、色情の恋のといふ事はごはせず、
人間としての真の親しみが出て来るやうでがす。』
・・・・
僕は斯うした老人の術懐を聞いて、平凡な言葉の中に、何だか人生哲学
・・・
の帰趨が語せれてゐる如うに感じた。
ラ
『お老爺さんとお婆さんとの、肉味を超越した白頭の親しみが本当の恋
ブ すえとほ めうと
愛で、末貫りたる心の夫婦、恐ろしい友情でせうな。』
からか
M君は揶揄つた。
やもめ
『併し、お二人が鰥寡でゐられるからこそ稲荷と観音のお守りが出来る
のでしやうね。もしも若い時からお二人が夫婦であられたなら、神主に
もなられず、尼にもなれず、失礼ですが物質的肉慾的には幸福であつて
たのしみ う
も、今日のやうな精神的の楽を享けることは出来なかつたかも知れませ
んね。』
ま うち
僕の言葉の未だ終らぬ間に、久しく黙つてゐたY君が、何か大発見でも
したかの様な頓狂声を出した。
『それに、稲荷さんは老人で、観音様は女ぢやありませんか、私は此処
に来るなりこのお老爺さんを稲荷の化身の如うに見てゐましたが、その
尼さんは観音の化身かも知れませんぞ。』
へんげ
『稲荷さんが狐の変化なら、観音さんは狸の化身かも知れないよ。はゝ
ゝゝ』
な
『イヤMさん!私等は今こそ狐でごはせうが、此の年までには虎にも化
り獅子にもなり、大蛇や狼にもなつて来たでごはす。人間と申すものは、
どなた
誰方の一生も、一わたり猛獣や毒虫に化らなきや通れないものでごはせ
うな。先生!』
『然し、人と離れて神を見ることが能きない如く、猛獣毒蛇の外に人を
で まれ
見ることは能きませんよ。「人生四十悪人たらざるは稀なり」と古人も
にく
謂つて居りますが、又「四十にして悪まるれば其れ終らんのみ」とも曰
ど
つてゐる。それに「四十にして惑はず」とも曰くつてゐますから、怎の
道悪人には相違ありますまいか。悪人はその儘にして神ではありますま
いか。人は己れに欠けたるを要求する。悪なるが故に善を求めて已まぬ
のでせう。全体、生の闘争の勃興期に入つて初めて其の揺籃時代が分る
如うに落凋期に入らなければ勃興期時代は分ら無いですからね。揺籃時
代はたゞ一直線に進むとばかりで上の方しか見られませんが、勃興期は
前後左右を見ることが能きるとしましても、裏面内面底面は如何しても
ま
落凋眼に竢たなければ見えませんからね。同じ親鸞でも若い唯円を通し
たま
た歎異抄は剣の如うに鋭いが、晩年の自作だと伝ふる三帖和讃は珠の如
くわ
うですからね。近松の神膸たる曾根崎心中にしても皆落凋時代の果では
ありませんか。』
まつたく
『イヤ真実左様で…………斯う申すと何でごはすが、年寄が若い男女を
とほい
見る目は永遠ところの美しさが近く見えるでごはするが、若い方は若い
きたな
女には怎うも近い穢いものを遠く美しく見てゐられる如うで…………は
ゝゝゝゝ』
|