『しかし阿爺さん!此の節のやうに、地方の稼ぎ人が、都会へ/\と出
て行つた日にや小作をするものが無くなるよ。それに筋肉労働尊重の声
がだん/\田舎の方へ伝はつて来て、小作人が次第に勢力を得て、地主
に反抗するやうになり、先生の御話ぢやないが、地主は田をお貸し申し
た上に、御小作料を下納し奉らねばならぬ時代が来ないものではないよ。』
『それやいろ/\の例もあることでごはすから、親譲りの田地が何程ご
はしても何時までも枕を高うしては居られないでごはせう。ねえ先生!』
『然し今日の人間は田舎は都会を作る材料としきや思つてゐないし、田
舎の金持や田地持も都会者よりも都会化して、小作人を自働米作器とし
きや思つてゐないやうですね。中には田は米を作る場所だとは思つてゐ
しろもの
ない連中もあるやうですね。だいに「土地」と云つて「田」とは云はな
どんな
いぢやありませんか。それに近来怎麼田でも坪幾らで売買されるさうで
すし、少し気の早い連中は何時でも金に代へられるやうにして、イザと
とつぱし
なれば外国へ帰化る準備をしてるとか聞いてもゐますよ。昔は年貢高に
恐れて米を作る田に藪を植えたさうですが、今は「何々土地株式会社用
地」とか「所有地」とか「経営地」とか云ふ棒杭が植ゑられてゐる。斯
もつとも
うなつては稲荷様が、それほど発興せぬのも道理だと思はれますね。尤
きいろいかね
も今は黄色い米よりも黄色金を作る都会と云ふ畑を持てゝ居る如うです
が…………』
『イヤお話を承つて、大いに思ひ当る所がごはす、現に此の村でも、立
そ れ たかまがはら おさだ さ だ あぜ
派な村社がごはすが、其社は高天原の長田、狭田の畔を壊し破つたり溝
あ すさのをのみこと
を埋めたりして、彼の素盞嗚尊様を祀つてゐるのでごはす。農作の神、
稲荷が村社にもならぬと云ふのは我が田に水のやうでごはすが、実以て
嘆かはしいことでごはす。』
おぢい まさ
勿体なさうに斯う云つた老爺さん、茲に至つて、正しく稲荷の化身たる
を思はしめた。発見者Y君の目が一寸光つた。
ひ つ
『けれども無宙になつて梭に下腹を衝かれて死ぬほどの熱情と、青山を
かは さんせんそうもく ゆる うご
泣き枯し、泣乾かす涙は足を一度下せば山川草木悉く動ぎ震めく力に生
ずるのではありませんか。私は小理窟ありて涙無く、享楽あつて力の脱
けた今の世には寧ろ素盞嗚尊の再臨を祈つて已まざるものであります。』
僕は斯の言葉に、床之間に飾られた兜を物珍しさうにためつすめしつし
てゐたM君、
こんな
『昔は本当に恁麼重たい物を被つて戦争したのでせうかね。先生!』
と来た。
かつ
『何だか五斗俵を見て、「昔の人は恁麼物を担いでゐたと伝ふが本当で
せうか」と訝る後の世が思ひ遣られるね。』
僕が云ふと、歯の無い口を尖らして老神官は歯痒いさうに語る。
『そら先生!本当でごはすよ。ナンセ山口村の百姓でも此処四五年以前
ゑら よ
までは「幾ら豪さうに言つたつて五斗俵が能う担げんぢやないか」と言
あか かます
はれると顔を赧うしたものでごはすが、此の節は三斗叺だつて満足に担
そんな
げる者は無いさうでごはすからな…………又其麼物を担げるのは恥の如
ひと
うに思つてゐるやうでがす。蛮的だとか何だとかいつて、他も亦莫迦に
するさうでがす。ナンセ日傘を差して野良仕事に出掛ける世の中でごは
すからな。』
わたしとこ
『私村でも四五年前までは紋服を持つてゐる家が、百軒の内に三軒しか
無かつたのが、先達て村長の法事での話に、今は紋服を持つてゐない家
が三軒しか無いといつてたからなあ。』
M君も情なさゝうに斯く語つた。僕は更に中斎談を引出しにかゝつた。
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