『イヤ全く御高説の通りでがす。何にも致せ、折角御結構な御思立ち、
決してお止めは致しません。何、私も、モ少し若ければお供を致したい
も からだ い
でごはすが、気ばかり若うても既う身体が命ふことを聞かんでごはすか
つ
らな。併し、易に出ました通りでごはすから、万事十分にお気をお注け
なさるがよろしうごはす。』
ど おこ
『イヤ怎うも有難う。八卦を観ていたゞきたいと思ふ心の生るのが、無
もたら
事無雑作に行かない証拠です、好結果を齎す仕事は着手の初めから心の
底に云ひ知れない喜びがあつて、何等成否を顧慮しない筈ですからね。
なんびと
それに何人でもやがて自己の上に悲運のふりかゝつて来る前には何とな
く気持の悪いものですが、それを占うて見るだけの余裕があれば、悲運
まぬが たゝかひ
から免れることが能きると思ひます。戦の勝敗も畢竟此の一部の余裕の
ほか
有無に他ならないのですからね。ではこれからボツ/\出かけませう。
あなたも何分御老体の事、随分大切になさつて…………』
別れを告げやうとするとM君、
テ ハ シテ フ
『先生、あれで分つたのですか、「遇不*遇不遇遇」なんて、私等には
謎の如うで、サツパリ分りかねますが…………』
かほつき
と気遣はし気な顔相をする。
『あれで僕にはスツカリ分つたよ。しかし何うなるのも天命、成否は一
に僕等の誠意如何に因るのだ。』
僕が曰ふと、
・・・
『私は何だか、あの易断で、幾らかはづみ切つた心の鋭鋒を挫かれたや
うです。少しでも先の事が分ると、却つて不安に襲はれるものですな。』
Y君が言う。
『僕等が明日如何なるやら分らぬやうに、愚かにされてゐることは、大
なる恩恵だよ、若し夫れ来らんとする運命を聞かされて、少しも心の動
ま
かぬまでの修養さへ出来たら、易断に俟たずして、霊智自然の妙用によ
つて、将来を直感することが出来るかも知れないね。』
両君も僕の此の一言にやう/\得心して、とり/゛\に別れの挨拶をす
やが
る。軅て神社を出て、トロ/\坂を下りて振返ると、夕栄えに輝いて新春
ほの
気分を漂はせる土佐絵の如うな松並木の間から、老神主の姿が仄見える。
僕は何とも云へぬ名残が惜まれて涙ぐましい心地がした。或は地上で再び
相見ることの能きぬその予感では無いかしら………………。
あんでら と き
山麓の庵寺を通る刹那、M君が、
こ ゝ い う ま
『先生!此庵が金泉寺と称つて、彼の老神官と意気合ひの尼さんが住ん
ついで
でゐる観音堂なのです。道草の喰ひ序で、一寸立寄つて見ませうか。』
うらち からかね
Y君 の言ふがまゝ、案内するがまゝ、堂内に上り込んで其処の唐様を
あ こ ぶ
鳴らし、観音経を三人で誦げてゐると、奥から老尼が昆布湯を持つて来て
がんだう つ は な
慇懃に挨拶をする。龕堂を開けて灯明を点けて呉れる。供花を仕換へて呉
かきもち はじ
れる。ぬく/\の手製団子や掻餅を仏さん首め、僕等へも供へて呉れる。
老神主と云ひ、この老尼と云ひ、M君の知り合ひであるとは言ひ條、老神
い まゞころ もてなし
官の評つてた通り、物数を言はないが、真情に満ちた待遇をして呉れたこ
かさ
とは、都会に於ける口先き許り、支払ふ銭嵩だけの待遇を受けて来た僕を
して、枯衰凋落の人生亦、こゝに一脈の温血、陰に通ずるものあるを感ぜ
しめたのであつた。
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